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柳沢敦 「十字架を背負って」 ~終わらざるドイツW杯~

2010/06/09

 紫色のゆりかごが大きく揺れた。

 5月5日、ホームの西京極競技場。

 史上6人目となるJリーグ通算100ゴールに王手をかけていた柳沢敦は、こぼれ球に素早く反応して胸トラップから一瞬でトップスピードに乗って相手を抜き去ると、最後は落ち着いてゴール右隅に決めた。シンプルにゴールに向かうという柳沢のエッセンスが凝縮された一発。試合前日に第一子となる長男が生まれたとあって、仲間たちが一斉に柳沢を取り囲んだのだった。

 足掛け13年、284試合目にしてのメモリアルゴールは日本人プレイヤーでは三浦知良、中山雅史、藤田俊哉に続く4人目の快挙。4年前、ドイツW杯のクロアチア戦で決定機を外してバッシングを浴びた柳沢はその後、ケガに苦しみ、不調に喘いできた。それでも京都サンガで着実に得点を重ね、移籍3年目にしてついに偉業を成し遂げたのだ。

 翌日、関西で発行されるスポーツ紙の多くが柳沢の100ゴールよりも日本代表監督の面前でゴールをマークしたセレッソ大阪の若きミッドフィルダーに紙面を大きく割いていた。その新聞の片隅に柳沢の声があった。

『僕は個人で打開するより周りに活かされている。多くの味方に助けてもらった。100点は通過点だし、まだ積み上げていきたい』

 苦悩の日々を送ってきたストライカーが“通過点”と貪欲に言い切ったところに、心境の変化を感じないではいられなかった。

苦戦したJ通算100ゴールは長男誕生の翌日だった。

 100ゴール達成から2週間後、京都・城陽市の山地にあるサンガタウンは雨に包まれていた。クラブカラーである紫色の花々がクラブハウスの周辺を彩り、両手を広げるように雨水を受け止めている。

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photograph by Kotaro Akiya

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