江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った / photograph by Bungeishunju 若菜は阪神が「野球をうまくしてくれた」と考えている ©Bungeishunju 大洋時代の若菜の伝説の珍プレー。右脇にボールが挟まったまま素知らぬ顔でランナー中畑清にタッチしてアウトに ©Sankei Shimbun ダイエーホークスでコーチを務めた若菜(84番)。城島(2番)の育成に手腕を発揮した。89番が王監督 ©Kazuaki Nishiyama 1983年、メッツ傘下でプレーした若菜(右) ©AFLO 昭和の野球選手としては異彩を放つスマートさだった小林 ©Bungeishunju 近鉄コーチ時代の小林 ©Kazuaki Nishiyama 2009年、日ハムコーチ時代の小林。このわずか半年後に急逝した ©Toshiya Kondo 阪神に「小林フィーバー」が起き、女性ファンが小林を追いかける事態に ©Sankei Shimbun 小林がトレーニングする様子 ©Bungeishunju 強力打線の一角を担っていたラインバック ©Bungeishunju 遠征で移動する小林(左)と若菜(右)。グラウンド外でも仲が良かった ©Sankei Shimbun こんな撮影をしてもサマになった小林 ©Bungeishunju 互いに阪神に移籍してきた1年目、小林(右)の捕手を務めた若菜(左)に話を聞いた ©Sankei Shimbun 人気球団・阪神の大スターだった田淵幸一 ©JIJI PRESS 若菜とともに阪神に移籍した真弓 ©Bungeishunju クラウンライター時代の1977年。若菜(右)はエース東尾修(左)とバッテリーを組んだ ©AFLO 引退後、急逝する前の小林 ©Toshiya Kondo 阪神入りを承諾し、記者会見を行う小林 ©JIJI PRESS ジャイアンツの若手時代の小林 ©KYODO 大洋時代の若菜の伝説の珍プレー。右脇にボールが挟まったまま素知らぬ顔でランナー中畑清にタッチしてアウトに ©Sankei Shimbun 小林から見ると、同じ名門球団でも巨人と阪神には大きな違いがあった ©Bungeishunju 79年、阪神に移籍した小林は実力はもちろん、スタイリッシュな佇まいでも人気を集めたという ©Bungeishunju こんな撮影をしてもサマになった小林 ©Bungeishunju 1979年4月10日、巨人戦に先発した小林が王貞治を打ち取る ©KYODO 後年の小林繁 ©Toshiya Kondo ©Bungeishunju ©Bungeishunju ©Bungeishunju ©Bungeishunju 1979年、江本の通算100勝目を祝福する若菜。なんとノーサインで投げることが多かったという ©KYODO 交流戦もない時代、オールスターはスタイルの異なる両リーグの選手が情報交換をする貴重な機会だった。右端が若菜 ©Bungeishunju セ・リーグに移籍して若菜はリードだけでなく打撃でも進境を見せた ©Bungeishunju 因縁のツーショット。だが2年目以降の小林には、江川にどうしても勝つというまでの思いはなかったのかもしれない ©Bungeishunju 1981年の江本。首脳陣批判事件からこの年限りで引退した ©JIJI PRESS 小林の近くにいたメンバーは次第に減っていったという ©Bungeishunju 引退を表明し、秋のオールスター東西対抗戦で最後のマウンドに上がった小林 ©Sankei Shimbun 若菜とトレードされた田淵は巨人との日本シリーズに出場した ©Kazuhito Yamada 江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った ©Bungeishunju 若菜は阪神が「野球をうまくしてくれた」と考えている ©Bungeishunju ダイエーホークスでコーチを務めた若菜(84番)。城島(2番)の育成に手腕を発揮した。89番が王監督 ©Kazuaki Nishiyama 1983年、メッツ傘下でプレーした若菜(右) ©AFLO 昭和の野球選手としては異彩を放つスマートさだった小林 ©Bungeishunju 近鉄コーチ時代の小林 ©Kazuaki Nishiyama 2009年、日ハムコーチ時代の小林。このわずか半年後に急逝した ©Toshiya Kondo

互いに阪神に移籍してきた1年目、小林(右)の捕手を務めた若菜(左)に話を聞いた ©Sankei Shimbun

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江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った / photograph by Bungeishunju 若菜は阪神が「野球をうまくしてくれた」と考えている ©Bungeishunju 大洋時代の若菜の伝説の珍プレー。右脇にボールが挟まったまま素知らぬ顔でランナー中畑清にタッチしてアウトに ©Sankei Shimbun ダイエーホークスでコーチを務めた若菜(84番)。城島(2番)の育成に手腕を発揮した。89番が王監督 ©Kazuaki Nishiyama 1983年、メッツ傘下でプレーした若菜(右) ©AFLO 昭和の野球選手としては異彩を放つスマートさだった小林 ©Bungeishunju 近鉄コーチ時代の小林 ©Kazuaki Nishiyama 2009年、日ハムコーチ時代の小林。このわずか半年後に急逝した ©Toshiya Kondo 阪神に「小林フィーバー」が起き、女性ファンが小林を追いかける事態に ©Sankei Shimbun 小林がトレーニングする様子 ©Bungeishunju 強力打線の一角を担っていたラインバック ©Bungeishunju 遠征で移動する小林(左)と若菜(右)。グラウンド外でも仲が良かった ©Sankei Shimbun こんな撮影をしてもサマになった小林 ©Bungeishunju 互いに阪神に移籍してきた1年目、小林(右)の捕手を務めた若菜(左)に話を聞いた ©Sankei Shimbun 人気球団・阪神の大スターだった田淵幸一 ©JIJI PRESS 若菜とともに阪神に移籍した真弓 ©Bungeishunju クラウンライター時代の1977年。若菜(右)はエース東尾修(左)とバッテリーを組んだ ©AFLO 引退後、急逝する前の小林 ©Toshiya Kondo 阪神入りを承諾し、記者会見を行う小林 ©JIJI PRESS ジャイアンツの若手時代の小林 ©KYODO 大洋時代の若菜の伝説の珍プレー。右脇にボールが挟まったまま素知らぬ顔でランナー中畑清にタッチしてアウトに ©Sankei Shimbun 小林から見ると、同じ名門球団でも巨人と阪神には大きな違いがあった ©Bungeishunju 79年、阪神に移籍した小林は実力はもちろん、スタイリッシュな佇まいでも人気を集めたという ©Bungeishunju こんな撮影をしてもサマになった小林 ©Bungeishunju 1979年4月10日、巨人戦に先発した小林が王貞治を打ち取る ©KYODO 後年の小林繁 ©Toshiya Kondo ©Bungeishunju ©Bungeishunju ©Bungeishunju ©Bungeishunju 1979年、江本の通算100勝目を祝福する若菜。なんとノーサインで投げることが多かったという ©KYODO 交流戦もない時代、オールスターはスタイルの異なる両リーグの選手が情報交換をする貴重な機会だった。右端が若菜 ©Bungeishunju セ・リーグに移籍して若菜はリードだけでなく打撃でも進境を見せた ©Bungeishunju 因縁のツーショット。だが2年目以降の小林には、江川にどうしても勝つというまでの思いはなかったのかもしれない ©Bungeishunju 1981年の江本。首脳陣批判事件からこの年限りで引退した ©JIJI PRESS 小林の近くにいたメンバーは次第に減っていったという ©Bungeishunju 引退を表明し、秋のオールスター東西対抗戦で最後のマウンドに上がった小林 ©Sankei Shimbun 若菜とトレードされた田淵は巨人との日本シリーズに出場した ©Kazuhito Yamada 江川卓とのトレードから奮闘を続けた小林繁、そして若菜嘉晴も阪神で優勝することのないままチームを去った ©Bungeishunju 若菜は阪神が「野球をうまくしてくれた」と考えている ©Bungeishunju ダイエーホークスでコーチを務めた若菜(84番)。城島(2番)の育成に手腕を発揮した。89番が王監督 ©Kazuaki Nishiyama 1983年、メッツ傘下でプレーした若菜(右) ©AFLO 昭和の野球選手としては異彩を放つスマートさだった小林 ©Bungeishunju 近鉄コーチ時代の小林 ©Kazuaki Nishiyama 2009年、日ハムコーチ時代の小林。このわずか半年後に急逝した ©Toshiya Kondo

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