1971年、ドラフト6位で巨人に指名された小林繁。“瘦身エース”のプロデビューは1973年だった / photograph by KYODO 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1971年ドラフトで巨人から6位指名された小林繁。写真は大丸百貨店時代。翌72年に巨人入りを決断 ©Sankei Shimbun 身長178センチ、体重62キロの痩身エースだった小林。1973年にプロデビュー ©BUNGEISHUNJU 1977年9月、リーグ優勝が決まり、ポーズをとる王貞治、長島茂雄監督、張本勲、小林繁(左から)。小林はこの年、沢村賞に選ばれた ©JIJI PRESS 「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)。戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手は人生をどう逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁、矢野燿大らのサバイバルを追う(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 1971年ドラフトで巨人から6位指名された小林繁。写真は大丸百貨店時代。翌72年に巨人入りを決断 ©Sankei Shimbun 1979年5月、小林繁の阪神1年目。飛行機で伊丹空港に帰阪した小林(手前)と江本孟紀 ©Sankei Shimbun 1980年7月、小林繁の阪神2年目。巨人・江川卓とオールスターで再会し、握手を交わす ©Sankei Shimbun 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1979年1月31日、巨人球団幹部らとの長時間の話し合いを終え、ホテルを出る小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1978年11月22日、巨人がボイコット(手前左の空席)する中、開かれたドラフト会議。4球団競合の末、江川卓(法政大)の交渉権は阪神に ©JIJI PRESS 1977年12月、記者会見でクラウンへの入団拒否を表明する法政大・江川卓。江川のプロ入り拒否は4年前に続き2度目となった(当時は阪急ブレーブス) ©JIJI PRESS 1979年1月31日、阪神入団を発表する江川卓投手。右は阪神の小津正次郎社長 ©JIJI PRESS 1979年2月10日、電撃移籍し、入団発表で阪神の小津正次郎・球団社長と握手する小林繁 ©JIJI PRESS 1979年4月7日、巨人入団を発表し、正力亨オーナーと握手する江川卓 ©JIJI PRESS 身長178センチ、体重62キロの痩身エースだった小林。1973年にプロデビュー ©BUNGEISHUNJU 1977年9月、リーグ優勝が決まり、ポーズをとる王貞治、長島茂雄監督、張本勲、小林繁(左から)。小林はこの年、沢村賞に選ばれた ©JIJI PRESS 1979年、小林繁の阪神1年目。1球ごとに帽子が飛ぶほどの力投で対巨人戦8連勝を挙げた ©JIJI PRESS 現役最後の年となった1983年。対巨人戦で、帽子を飛ばして力投。1勝目を挙げる小林繁(当時30歳) ©JIJI PRESS 1971年、ドラフト6位で巨人に指名された小林繁。“瘦身エース”のプロデビューは1973年だった ©KYODO 1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁(当時26歳)。あの日、小林に何があったのか? ©KYODO 1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁 ©BUNGEISHUNJU

1979年5月、小林繁の阪神1年目。飛行機で伊丹空港に帰阪した小林(手前)と江本孟紀 ©Sankei Shimbun

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1971年、ドラフト6位で巨人に指名された小林繁。“瘦身エース”のプロデビューは1973年だった / photograph by KYODO 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1971年ドラフトで巨人から6位指名された小林繁。写真は大丸百貨店時代。翌72年に巨人入りを決断 ©Sankei Shimbun 身長178センチ、体重62キロの痩身エースだった小林。1973年にプロデビュー ©BUNGEISHUNJU 1977年9月、リーグ優勝が決まり、ポーズをとる王貞治、長島茂雄監督、張本勲、小林繁(左から)。小林はこの年、沢村賞に選ばれた ©JIJI PRESS 「起死回生:逆転プロ野球人生」(新潮新書)。戦力外通告、飼い殺し、理不尽なトレード……まさかのピンチに追い込まれた、あのプロ野球選手は人生をどう逆転させたのか? 野茂英雄、栗山英樹、小林繁、矢野燿大らのサバイバルを追う(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 1971年ドラフトで巨人から6位指名された小林繁。写真は大丸百貨店時代。翌72年に巨人入りを決断 ©Sankei Shimbun 1979年5月、小林繁の阪神1年目。飛行機で伊丹空港に帰阪した小林(手前)と江本孟紀 ©Sankei Shimbun 1980年7月、小林繁の阪神2年目。巨人・江川卓とオールスターで再会し、握手を交わす ©Sankei Shimbun 1979年1月31日、巨人を退団、阪神入りを承諾し記者会見に臨む小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1979年1月31日、巨人球団幹部らとの長時間の話し合いを終え、ホテルを出る小林繁(当時26歳) ©JIJI PRESS 1978年11月22日、巨人がボイコット(手前左の空席)する中、開かれたドラフト会議。4球団競合の末、江川卓(法政大)の交渉権は阪神に ©JIJI PRESS 1977年12月、記者会見でクラウンへの入団拒否を表明する法政大・江川卓。江川のプロ入り拒否は4年前に続き2度目となった(当時は阪急ブレーブス) ©JIJI PRESS 1979年1月31日、阪神入団を発表する江川卓投手。右は阪神の小津正次郎社長 ©JIJI PRESS 1979年2月10日、電撃移籍し、入団発表で阪神の小津正次郎・球団社長と握手する小林繁 ©JIJI PRESS 1979年4月7日、巨人入団を発表し、正力亨オーナーと握手する江川卓 ©JIJI PRESS 身長178センチ、体重62キロの痩身エースだった小林。1973年にプロデビュー ©BUNGEISHUNJU 1977年9月、リーグ優勝が決まり、ポーズをとる王貞治、長島茂雄監督、張本勲、小林繁(左から)。小林はこの年、沢村賞に選ばれた ©JIJI PRESS 1979年、小林繁の阪神1年目。1球ごとに帽子が飛ぶほどの力投で対巨人戦8連勝を挙げた ©JIJI PRESS 現役最後の年となった1983年。対巨人戦で、帽子を飛ばして力投。1勝目を挙げる小林繁(当時30歳) ©JIJI PRESS 1971年、ドラフト6位で巨人に指名された小林繁。“瘦身エース”のプロデビューは1973年だった ©KYODO 1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁(当時26歳)。あの日、小林に何があったのか? ©KYODO 1979年、江川事件で巨人から阪神へ電撃移籍した小林繁 ©BUNGEISHUNJU

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