ヒールとして人気を博したグレート小鹿と大熊元司の「極道コンビ」。アメリカでは「ライジング・サンズ」の名称で活動した / photograph by Essei Hara アメリカ時代から長くタッグを組んだ大熊元司(右)は、1992年12月に51歳の若さで亡くなった 若いころから好んで使っていた逆エビ固め 力道山夫人の田中敬子さん、坂口征二との3ショット。2020年2月、アントニオ猪木の喜寿を祝う会で撮影 小鹿と大熊元司の極道コンビ。1979年8月26日の夢のオールスター戦では長州力、アニマル浜口組と戦った 小鹿と大熊元司の極道コンビ。1979年8月26日の夢のオールスター戦では長州力、アニマル浜口組と戦った 小鹿と大熊元司の極道コンビ。1979年8月26日の夢のオールスター戦では長州力、アニマル浜口組と戦った 1982年、全日本プロレス。得意のヘッドロックを極める小鹿 「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜(9) 「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜(10) 「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜(11) 1984年10月11日、全日本プロレス。大阪府立体育会館でのターザン後藤戦 1984年10月11日、全日本プロレス。大阪府立体育会館でのターザン後藤戦 1994年12月21日、横浜・鴨居。大日本プロレス道場開きでケンドー・ナガサキ(桜田一男)と 1994年12月21日、横浜・鴨居。大日本プロレスの道場開き 1994年12月21日、横浜・鴨居。大日本プロレスの道場開き。左からケンドー・ナガサキ、谷口裕一、グレート小鹿 1995年3月16日、横浜文化体育館での大日本プロレス旗揚げ戦 1995年3月16日、横浜文化体育館での大日本プロレス旗揚げ戦 1997年1月4日。新日本プロレス東京ドーム大会。小鹿は髪を赤く染め、タキシードに大量の手榴弾、大きな赤いマフラー姿で入場した 髪を真っ赤に染めた小鹿 1997年1月4日。新日本プロレス東京ドーム大会。小鹿はマサ斎藤と対戦した。レフェリーは山本小鉄 2008年8月7日。大日本プロレス。横浜赤レンガ倉庫でシェイクスピア『リア王』に扮する小鹿 2008年8月7日。大日本プロレス。横浜赤レンガ倉庫でシェイクスピア『リア王』に扮する小鹿 2008年8月7日。大日本プロレス。横浜赤レンガ倉庫でシェイクスピア『リア王』に扮する小鹿 2019年2月19日、両国国技館。ジャイアント馬場没後20年追善興行のリングに上がった小鹿 小鹿と大熊元司の極道コンビ。1979年8月26日の夢のオールスター戦では長州力、アニマル浜口組と戦った 2019年2月24日、全日本プロレス。関本大介、岡林裕二のセコンドにつく小鹿 関本、岡林組の世界タッグ防衛を祝福 2019年3月。全日本プロレスの諏訪魔、石川修司を担ぎ上げる関本と岡林 2020年8月30日。思い出の地、横浜文化体育館解体前最後の興行 2020年8月30日、横浜文化体育館。藤波辰爾と共に大日本のレスラーと記念写真に収まる インタビューに応える小鹿 「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜(33) 「小鹿、早く帰ってこい。会社を改革しよう」“プロレス界の生き字引”グレート小鹿がアントニオ猪木と飲み明かしたLAの夜(34)

1994年12月21日、横浜・鴨居。大日本プロレスの道場開き

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