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「最高年収は6000万円」日本中に“嫌われた”ダンプ松本の知られざる給料事情「あ、刺されちゃう」当時の私設マネージャーが明かす“いやがらせ被害”
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2026/10/30 17:05
極悪同盟のメンバーとともに入場するダンプ松本
かほるの意志は固かった。リングに上がるという強い決意を感じた俊国は、渋々首を縦に振ったが、ずいぶん経ってから「国坊、最後までちゃんとかほるの面倒を見るんだぞ。途中で投げ出すんじゃねぇぞ」と釘を刺していたと伝え聞いた。
もっとも、かほるはその後も海賊の人手が足りないときは、助っ人で何度も出勤した。店のチーフマネージャーは、元ゴールデン・ペアのビクトリア富士美の夫で、元レフェリーのラッキー飯村になっていた。
「じゃあ、明日、試合するぞ」
影武者デビューから3カ月ほどが経過したころ、かほるは再び国松に呼ばれた。
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「受け身はどうだ?」
「とりあえず、大丈夫かな」
セコンドや雑務に追われながらも、国松からは「セコンドでも万が一投げられてもいいように、受け身だけは教えてもらっとけ」と言われていたため、忠実に守っていたのだ。
「じゃあ、明日、試合するぞ」
「えーっ!? 試合なんてできないよ!」
その場で国松から首投げ、小手投げ、ボディスラムを教えてもらった。この3つの技だけで、11月24日、兵庫・西脇市総合市民センターで急遽組まれたデビュー戦を乗りきった。対戦相手は、同期の西脇充子。テレビ中継がなく、プロレスマスコミもいない寒いローカルの体育館で、リングネーム・影武子(たけこ)がひっそり産声を上げた。
当時は毎日が無我夢中で、自分のことを振り返る余裕がなかったが、かほるが正式にプロレスデビューしたことによって、日本の女子プロレス界史上初となる母娘レスラーが誕生した。このおよそ9年後の1994(平成6)年に、全女の旗揚げ期を支えた元WWWAシングル王者の星野美代子の愛娘・中山香里がFMWでデビューした。当時は「2世レスラー」と持てはやされたが、元祖は松永家だった。

