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「7球団競合→入団拒否」のドラフト会議で起きた“ドラマ”…完全ノーマークだった中日の“ビックリ1位指名”とは?「生中継でド緊張」解説者が振り返る

posted2026/10/25 11:04

 
「7球団競合→入団拒否」のドラフト会議で起きた“ドラマ”…完全ノーマークだった中日の“ビックリ1位指名”とは?「生中継でド緊張」解説者が振り返る<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1995年のドラフト会議で7球団から1位指名を受けた福留孝介(PL学園)。交渉権を得た近鉄への入団を断り、日本生命に進んだ

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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福留孝介に7球団の指名が集中した1995年のプロ野球ドラフト会議。そのウラでは、メディアも完全ノーマークだった高校生の“ビックリ1位指名”があった。のちに2000本安打を達成することになる、その意外な選手とは? 当時、朝日新聞記者としてドラフト会議中継に参加した安藤嘉浩氏が「冷や汗もの」の思い出をつづった。(全2回の1回目/後編へ)

◆◆◆

 プロ野球ドラフト会議では毎年、悲喜こもごものドラマが繰り広げられる。1995年はいわゆる「福留ドラフト」。PL学園(大阪)の福留孝介内野手に高校生では史上最多となる7球団の1位指名が集中し、その後もドラマが続いた。

 大学生・社会人選手が希望球団を表明できる「逆指名権」が導入されて3年目のドラフトだった。初年度の1993年は12球団の1、2位指名枠24人のうち18人が逆指名で決まり、重複指名による抽選はなかった。翌1994年は逆指名が14人に減り、駒澤大学への進学を志望していた別府大付(現・明豊)の城島健司をダイエーが指名するなど、ドラマも生まれた。

ドラフト会議中継に“解説者”として呼ばれ…

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 そして迎えた1995年は、高校生に将来有望な選手が多いと言われていた。朝日新聞のアマチュア野球担当記者だったぼくも、そういう記事を書いている。

 その中でも実力が抜きんでていたのが福留だった。本人は巨人と中日を希望し、それ以外の球団なら社会人野球の日本生命に進む意向を決めていたが、ヤクルト、ロッテ、日本ハム、近鉄も1位指名を明言。前日になってオリックスも仰木彬監督の強い要望によって福留を指名することになり、PL学園の先輩である1985年の清原和博の6球団を上回る、高校生史上最多の7球団から1位指名が集中する公算となった。

 11月22日のドラフト会議当日に向けて、世間の注目度や期待度は高まっていた。中継権を持つテレビ朝日は2年ぶりに生中継することを決定し、ぼくはゲスト解説者として参加することになった。会場内に設営された放送ブースで、隣に座ったのは日刊スポーツの野崎靖博・編集委員。「ニュースステーション」の木曜日のプロ野球コーナーでお馴染みの「まゆげの野崎さん」だ。プロ野球サイドの情報は野崎さん、アマチュア選手の情報は朝日新聞のアマ担当のぼくが話すよう、打ち合わせで言われた。

【次ページ】 “7球団競合”福留孝介が言った「意志は曲げない」

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