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プロ野球PRESSBACK NUMBER
理系の秀才がなぜ“ドラフト会議の司会者”に?「台本読むだけなら、よそでやれ」ドラフト名物アナの下積み時代…あの声の原点はディズニーランドだった
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byYuki Suenaga
posted2026/10/22 11:06
数々のドラマを生み出してきたドラフト会議。聞き慣れた“あの声”の主は…
野球を大学まで続けた友人に、プロ志望届を出そうと思わなかったのか、と聞いたことがある。答えは「思わない。物が違うもん」だった。
「サッカーでも野球でも芝居でも、みんなそうなんですよね。でも一生懸命やってきたからこそ、諦めきれないんです」
ローカル番組、釣りロケが出発点
区切りをつけたのは28歳。精神的な支えだった叔父を亡くしたことも重なった。
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関野の家は決して裕福ではなかった。それでも学費の高い芸術系の学科に通わせてくれた親からは「あんたに残すのは、この学問だけだからね」と言われていた。だからこそ、まったく別の仕事ではなく、表現することで食べていきたかった。
「ショーではずっと僕がMCで回していたので、しゃべりならどうかな、と」
フリーアナウンサーの事務所に履歴書を送ると、「何ができるの? まあ預かってあげるよ」と、ひとまず所属が決まった。世間はバブル真っただ中。周りは局アナ出身者ばかりで、関野にだけなかなか仕事が回ってこなかった。群馬テレビの情報番組の司会、茨城放送のラジオ、ケーブルテレビの釣りやハイキングのロケ番組。そこが出発点だった。
転機はTBSの番組宣伝枠のオーディションだった。数百人が集まる中、それまで200本近く落ち続けてきた関野が初めて合格した。入院していた母は、とても喜んでくれたという。当時の担当ディレクターに「絶対にナレーションをやった方がいい」と勧められ、番宣番組を1本任された。それをきっかけにTBSドラマのナビゲーション番組を担当し、10年ほど続いた。
「プロ野球ニュース」抜擢が変えた運命
1992年、30歳を前に別の扉も開いていた。
フジテレビ『プロ野球ニュース』の週末版で、明石家さんまと中井美穂が司会を務める回が始まる。それまで試合のダイジェストなどを読み上げるナレーションは夜勤のアナウンサーが担い、毎週声が変わっていた。制作陣はバラエティからドキュメントまで読める固定のナレーターを探した。オーディションもなく、関野に声がかかった。
フジのスポーツ班が求めたのは、ただ原稿を読むだけの声ではなかった。当時の番組スタッフには、東京六大学野球で主将を務めた人物をはじめ、サッカーやラグビー、ボクシング、競泳など、各競技の強豪校で大学まで競技に打ち込んできた猛者たちが名を連ねていた。競技の重みを身をもって知る彼らの目は、ナレーターにも向けられた。

