甲子園の風BACK NUMBER
「自転車操業で、寄付金集めに奔走」名門・池田高校も苦しんだ“部活動とカネ”…なぜ甲子園出場に大金がかかるのか? 蔦文也監督と「甲子園払い」の実態
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谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph bySankei Shimbun
posted2026/09/11 17:40
甲子園で選手たちをねぎらう池田高校の蔦文也監督
田中 実際に街中の家を一軒一軒回って、人海戦術で寄付を集めていたそうです。頼まれたほうも近隣の目があるので、恥ずかしくないようにという意識が働く。それが結果として「街も応援している一体感」と形容された面もあった。加えて、そうした「地方公立の下剋上」という甲子園の楽しみ方を決定づけたのは、歴史的に見ても池田だった気がしています。私は当時を知らない世代ですが、生きていたとしたら、欣喜雀躍といった心境で池田の記事を書いていた気がします。
でも今回の取材を通して、そんなに簡単な感動話ではない、と思うようになりました。今年も57年ぶりに甲子園出場を果たした秋田の横手高校が話題になりましたが、横手やきそば暖簾会が寄付をするという話は微笑ましいなと思う一方で、構図としては池田と似ているところもある。以前の自分だったら、純粋に応援していたと思うのですが。
――そういう意味でも、小さな街であれだけのお金を集めた蔦さんのカリスマ性が浮かぶ。
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田中 蔦さんが“蔦さん”であり続けなければ、金は集まらなかったと思います。
「アルプスも埋めなきゃいけないんでね」
――寄付を通じて「街も応援している」という一体感の話がありましたが、甲子園という舞台そのものにも、見られることを意識した文化がありますよね。アルプススタンドの応援は今や風物詩ですが、いつから始まった習慣なんでしょう。
中村 正確には分かりませんが、PL学園が与えた影響は大きいと見ています。「PL」という人文字を作って一斉応援するというのは、おそらくPL学園が始まりなのではないでしょうか。
田中 高知農業を取材したとき、校長の「アルプスも埋めなきゃいけないんでね」という言葉が印象に残っています。テレビに映るという意識、そこにはある種の見栄えがありますよね。池田が強豪にのし上がっていく時代、たとえば1978年は甲子園史上最高視聴率を記録した年なのですが、70年代から80年代にかけて甲子園は爆発的な人気を得ていく。PLのスタンドの人文字が話題になったのもその頃です。甲子園が一大人気コンテンツになり、そこに日本特有の「見栄え」を重んじる感覚が重なり、風物詩として定着していった気がします。

