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「天山って何ですか?」「バカ野郎、お前の新しい名前だよ」天山広吉爆誕から“蝶天”そして“テンコジ”へ「ヒールは怖がらせてナンボかと…」
text by

二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAsami Enomoto
posted2026/08/25 11:01
天山引退記念インタビュー中編では、リングネーム「天山」の誕生秘話が語られた
「自分が知っているヒールは、入場でもお客さんを怖がらせて逃げ出されてしまうような存在。自分もそうしたときに、蝶野さんからは後で『やらなくていい。リング上だけはガンガン悪いことをやってくれていいから』と諭されたことがあった。ヒールはリング外でも悪いことやってナンボだろって思っていたんですけどね(笑)。リング上でも技の一つひとつ、つなぎ方、試合の持っていき方、近くにいてすべてが勉強でしたよ。
ヒロさん(ヒロ斎藤)と3人でタッグの試合では、俺が80%くらい出ていたんじゃないですか。自分が踏ん張って、ヒロさんにつなげて、最後美味しいところを蝶野さんが持ってくっていう……いや(笑)、蝶野さんが決めてくれるというパターンでした」
蝶野とのコンビでIWGPタッグ王者となり、“蝶天”は名コンビとして鳴らしていく。天山がパワーファイトで前面に出ていって、要所要所を技巧派の蝶野が締めていくそのコンビネーションにはあうんの呼吸があった。
“テンコジ”誕生
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カッコいいヒールはnWoブームを日本に巻き起こし、蝶野の傍らにはいつも天山がいた。そしてユニットが拡大していくなかで、武藤敬司が引き入れたのが天山と同学年ながら後輩の小島聡だった。ヤングライオン時代はよくタッグを組んでいたものの、ヒールターン後は抗争相手になっていた。
ただ、若手のころからウマはあった。
「自分が再入門した翌年にコジたちが入ってきたんです。俺からしたら、雑用が減るから辞めてほしくない。当時は5人入ったら1人残るか残らないかだったから、ちょっと心配したんですよ。でもアニマル浜口ジム出身で、体もしっかりできていたし、ちゃんと練習にもついてきた。明るい性格というのもあって馴染むのも早かった」
ケガによる蝶野の長期欠場に伴い、天山は小島を新パートナーにしてIWGPタッグ王座を獲得するなど、“テンコジ”がタッグ戦線の中心となる。
2000年1月4日の東京ドーム大会において蝶野が武藤とのボス抗争を制して天山も小島もTEAM2000の一員となり、その年にはプロレス大賞の最優秀タッグ賞を受賞。翌年のタッグリーグでも優勝を飾った。
テンコジの絶頂期——。まさか盟友と決別する日が来るとは思ってもみなかった。

