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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園優勝投手が“表舞台から消えた”…末吉良丞の“左肘重症説”は真実か? 比嘉公也監督が言った「投げるかはわかりません」沖縄尚学に現地で密着
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byTakarin Matsunaga
posted2026/07/25 17:00
昨夏の甲子園を制した沖縄尚学のエース・末吉良丞。今春以降、故障のためマウンドから遠ざかっていた
6月の招待試合もベンチ外でグラウンド整備
4月18日から九州大会が始まった。「優勝を狙う」と宣言した比嘉は、背番号1の新垣を中心にローテーションを組み、決勝までコマを進めた。
決勝戦は同じ沖縄代表のエナジック。夏の沖縄県大会でも一番のライバルとなるチームだけに、全力で勝ちにいって苦手意識を持たせるのか、それとも手の内を見せずに戦うのか、思案のしどころでもあった。比嘉は後者を取った。饒平名から田場、大城と継投し、試合は1対5で敗れる。
結局九州大会では一度も末吉の登板はなく、県内外のファンや関係者の間で故障説がまことしやかに語られるようになった。結論から言うと、故障は事実だった。問題はどの程度、重症なのかだ。
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5月になっても練習試合で末吉が投げたという情報は一切入ってこない。
高校野球の5月、6月は夏に向けてチーム力を強化する期間であり、熾烈なベンチ入り争いの時期でもある。沖縄は離島の学校のスケジュール的な兼ね合いもあり、6月中旬に夏の大会が開幕する。ゆえにチームの仕上がりは他県に比べてかなり早い。
4月上旬から1カ月半もの間、末吉は一切ボールを投げず、地道なトレーニングに没頭したという。
「柔軟はもちろん、指の中の筋肉であったり、肘のインナーを鍛えたりしていました。投げられない期間に筋肉が落ちないようにプライオボールとトランポリンを使って、腕にちょっとした刺激を入れていました」
グラウンドに出ると仲間たちの張りのある声が聞こえてくる。孤独感と無力感が募り、心が抉られていく。監督の比嘉からは「今は投げるな。我慢するのも野球だ」と声をかけられ、両親からも「今は無理するときじゃない」と繰り返し伝えられた。不安と焦燥を押さえつけながらリハビリを続け、5月末にようやくキャッチボールができるようになった。
夏の県大会前、沖縄県では高野連主催の招待試合が行われる。今年はセンバツ準優勝の智辯学園が招待され、6月6日、7日の2日間にわたって沖縄尚学、エナジック、興南、名護と対戦した。
6月6日の第1試合で智辯学園は沖縄尚学と対戦した。ベンチ入りメンバーに末吉の名前はなかった。智辯学園にとっても、末吉と対戦できると見込んでの遠征だったはずだ。取材をしながら、これは異常事態だと認識した。
末吉は他のベンチ外メンバーと共に試合前と5回終了時にグラウンド整備を行い、スタンドで応援をしていた。


