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山本由伸「実はヒジが痛かったんですよ」恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ〈ワールドシリーズMVP熱投の原点〉 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph bySANKEI SHIMBUN

posted2025/12/13 11:00

山本由伸「実はヒジが痛かったんですよ」恩師に明かした衝撃の告白…高3の夏、誰にも痛みを告げずマウンドへ〈ワールドシリーズMVP熱投の原点〉<Number Web> photograph by SANKEI SHIMBUN

都城高3年、18歳当時の山本由伸(オリックス入寮時)

「もちろん悔しさもありましたけど、やり切ったというか、悔いみたいなものはまったくなかった。そこは自分自身でも良かったかな、というのはありますね」

「あの時に戻っても、止められないかも…」

 そう思える背景にはこの夏を前に、チームメイトと過ごした濃密な時間があったからだと山本は言う。

 監督の石原の心に強く残っているのは、6月に行った大分遠征での出来事だった。

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「夜に宿舎でミーティングをしたんです。このチームで甲子園にいきたい、勝ちたいって話をして、山本は『監督を絶対に甲子園に連れていきたい!』と言ってくれた。ただ、勝とうが負けようが夏の大会が来るということは、この仲間と野球をする期間の終わりも迫ってくるということ。始まりだけど終わりみたいなところもあって、もう僕も含めて山本も他の選手もみんな号泣しながら、ああしたい、こうしたいというミーティングをしたんですね」

 だからこそ肘が痛いとは決して口にできなかった。山本は少し考えてからこう振り返った。

「もしいまの自分が当時の自分にアドバイスするとしても、止められないかもしれないですね。冷静に考えたら(登板は)やめるべきですけど、あの場面で冷静になるのはなかなか難しい。もし僕がコーチだったら止めると思います。でも本人だったら……もしいま、僕が高3になって、最後の夏前になってちょっと肘が痛いってなっても投げてしまうかなと思います」

「もし、もう1試合投げていたら…」

 肘の痛みに耐えながらも、チームのために、監督のために、自分のためにマウンドに立ち、納得できる投球をできたと思っている。ただもう一つ、山本がいま振り返って思うのは、あのときの敗北が導いたかもしれない運命の糸だった。

「もし、あそこで勝って、もう1試合投げていたら、どうなっていたんだろうというのは、いまでもときどき考えます。高校を卒業してプロには行かず、別の選択肢になっていたかもしれないと、よく考えます」

 この山本の話を聞いて、「彼らしい話だと思いますね」と頷いたのはオリックスで山本の担当スカウトだった山口和男だ。

「単純にその場面だけではなく、もっと将来とか全てを俯瞰して見ることができる。彼はそういう考え方の選手ですから」

【次ページ】 スカウトが見ていた「山本の絶対評価」

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