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「次は完全試合です」甲子園で820球“ビッグマウス”川口知哉が母校・龍谷大平安の監督に…指導者に目覚めたワケ「向いてんのかな、野球教えんのおもしろい」

posted2025/09/04 17:00

 
「次は完全試合です」甲子園で820球“ビッグマウス”川口知哉が母校・龍谷大平安の監督に…指導者に目覚めたワケ「向いてんのかな、野球教えんのおもしろい」<Number Web> photograph by Asahi Shimbun

1997年夏の甲子園で820球を投げ抜いて準優勝した平安のエース・川口知哉。現在は母校の監督に

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雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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Asahi Shimbun

 快刀乱麻の投球と強気な発言。28年前の夏を沸かせたスーパー左腕・川口知哉が母校の監督に就任した。プロでの挫折、女子野球での刻苦を経て、再び夢舞台を目指す指導哲学とは——。
 発売中のNumber1126号に掲載の[スーパースターの帰還]龍谷大平安 川口知哉「遠回りしたからこそ教えられる」より内容を一部抜粋してお届けします。

甲子園のスター投手が母校の監督に

 外野の向こうに青々とした醍醐山と白い雲。蝉の声かまびすしい練習場で、かつて「ビッグマウス」と呼ばれた男は余計なことを言わず、じっと選手の動きに目を凝らしていた。

「まずは見て覚える。その子の動きをきちんと頭にインプットして説明できるようにします。時間はかかりますが、そこから信頼関係を築かないといけない」

 そう話す川口知哉は、28年前、夏の甲子園を沸かせた平安(現・龍谷大平安)のエースだった。完封、11奪三振を達成した2回戦の高知商戦、お立ち台で「次は完全試合です」と宣言し、ついた異名がビッグマウス。決勝までの6試合、820球をひとりで投げ抜き、最後は現監督の中谷仁が主将を務めていた智辯和歌山に敗れたものの、1997年大会の主役になった。

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 甲子園のスーパースターが母校にコーチとして戻ったのは3年前。前任者が部員への暴行問題で辞任したのを受け、この春からは監督となった。監督として初めての夏の京都大会は4回戦敗退。7月末に始動したばかりの新チームの練習を見つめ、川口は言葉に力をこめた。

「選手のことを何も知らずにあれこれ言うのは、自分の経験を押しつけているだけ。その子に合うかどうかの判断もしていないということになるでしょう?」

「いいからやれ」フォーム改造で失われた本来の投げ方

 ドラフト4球団競合でオリックスに入団したプロ初年度、'98年2月のキャンプ合流初日に突如フォーム改造を命じられた。理由を尋ねても十分な説明のないまま、言われたのは「いいからやれ」。突然の矯正で投球動作、リズムのすべてが狂い、3月下旬の二軍戦で肩を痛めると、そのうち投げ方そのものを見失った。

 翌年には同じ甲子園のスター、松坂大輔がルーキーで大活躍していた。そんな姿を横目に見て、「情けない」という思いばかりが募っていく。プロ4年目の2001年には二軍戦で1試合6暴投、1試合15四球など不名誉な記録を残し、「俺はこんなことをしにきたんじゃない」と歯噛みするのだがトンネルの出口が見えない。

「入団して4年間は、やめたいやめたいとずっと思ってました。何をやっても、どんなトライをしてもうまくいかなくて、いいことなんて何一つなかった」

 練習を終えて買い物に出れば、道行く人に「お前、なんでこんなところ歩いてんの? 練習せえよ」と言われ、休日にパチンコに行ってみれば、知らぬ客から「パチンコなんかしてる場合ちゃうやろ」とどやされた。

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