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「巨人かヤクルトにトレードを」「ダメに決まってるだろ」中日監督と亀裂…山崎武司が“4億5000万円契約途中”で電撃トレード志願の真相
posted2025/07/10 06:00

2000年のオールスターでMVPを獲得した山崎武司(中央)。それ以降の野球人生は波乱万丈だった
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
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JIJI PRESS
電撃トレードは数あれど、中日ドラゴンズと推定4億5000万円の3年契約を結んだ中で異例の“トレード志願”。本塁打王経験者・山崎武司氏が語る裏話を、ダイジェスト版でお届けする。
横浜移籍寸前から中日残留、そして1年後の電撃トレード
本塁打王経験者が自らトレード志願――。
「3年間タダ飯だなと。ドラゴンズに申し訳ない思いでいっぱいでした」
2001年のシーズンオフ、山崎武司は自身の将来について大きな決断を迫られていた。中日でレギュラーとして活躍し、1996年には本塁打王も獲得していたが、次第に違和感が募っていた。
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「ドラゴンズは自分を必要としているのだろうか」
FA権を取得した山崎に熱烈なアプローチを見せたのは、横浜ベイスターズ。山崎いわく、移籍は「9割以上決まっていた」。しかし、中日の新監督に就任した山田久志からの一言が山崎の決意を揺るがした。
「山田さんに『チームに残ってほしい』、『一緒にやろう』と頭を下げられました」
山田の行動に心を打たれた山崎の背中をさらに押したのは妻の寿代さんだった。
「もう心の中では決まっているんでしょ。自分の好きなようにすればいいんじゃない」
山崎は中日残留を選んだ。だが2002年シーズン、山崎の野球人生は暗転する。