Number Web MoreBACK NUMBER
「バラエティ番組で胸をさわられて…」あのアイドルレスラーの告白…府川唯未(47歳)が今明かす“芸能活動の苦悩”「昔の映像を観ると…」《全女BEST》
posted2024/09/24 11:02
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)東京スポーツ新聞社、R)Takuya Sugiyama
今年、プロレスメディアで「府川唯未」の名が躍った。現役プロレスラーの夫・田中稔(GLEAT所属)とのあいだで育った長女の田中希沙が、「田中きずな」のリングネームで女子プロレスラーとしてデビューしたからだ。
最近のファンにはなじみが薄い府川唯未。これは、彼女の短いプロレス人生で後期にあたる。前期は全日本女子プロレス興業。通称・全女。掛け値なしの業界No.1女子プロ団体だった全女で、府川由美は1993年11月にデビューした。ところが、そのわずか5日後に右鎖骨を骨折して長期欠場。以降のおよそ1年5カ月、彼女の居場所はリングではなくグッズ売店だった。「売店にかわいい子がいる」。ファンやマスコミのあいだで有名になり、身長152cmの府川の人気は思わぬ場所から火がついた。
◆◆◆
府川 「売店部長」って呼ばれてたんですけど、すっごいそれが悔しくて。クラッシュ・ギャルズ(ライオネス飛鳥&長与千種)のように強くてかっこいい選手にあこがれて、クラッシュがいた全日本女子プロレスに入ってきたので。
――“売店人気”が高まっていたことは、本人の耳に届いていましたか。
「あなたは全女を汚す」「もう実家に帰れば?」
府川 毎日がサバイバルだったので、そんな余裕はなかったです。全女って逆ピラミッドで、上に先輩方がガ~ンといらして、新人たちは入ってきても辞めてしまうので、常に尻つぼみ。年間300試合ぐらいあった時代なので、雑用をこなすことで精いっぱい。いかに毎日を生き抜くか、仕事を失敗しないでやり遂げるかしか考えられなかったので、自分への評価を考える余裕なんてなかったです。試合数でいうと後輩たちのほうがこなしていたし、私なんて名前だけの先輩。それでいて、体も小さい。ファンの方も、「なんでいるの?」と思っていたと思うんですよ。実際に、そういう手紙をもらったし。
――どんなことが書かれていたんですか。
府川 「あなたは全女を汚す」。それはほんとに突き刺さって。胸が痛かったけど、それが現実。それがみんなの目だろうなっていうのがありました。「もう(辞めて)実家に帰れば?」とか言われていたし、新人って事務所のなかでも仕事があるので事務所に行ったら、スタッフさんから「まだいるの?」って言われました。復帰のメドがたっていないとき、北斗(晶)さんが事務所にいらっしゃったんですね。ちょうどそのころ、年に数回の大場所しか試合に出ないという時期で。
――セミリタイアしていた94年ですね。
府川 ですかね。私は、居場所がない毎日。そんななか北斗さんが声をかけてくださって、事務所のみなさんに聞こえる大きな声で、「北斗晶は年に3回試合してプロレスラーやってるけど、府川は1年に1回も試合しないでもプロレスラーなんだから、私よりすげぇよな」って言ってくださったんですね。からかうような口調ではなくて、すごく愛がある言い方だったので、すっごく覚えてる。