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3年7億円超→年俸500万円になっても“36歳ドジャース挑戦”…生々しい格差を斎藤隆が語る「あのままいたら6年間マイナー契約でした」
text by
間淳Jun Aida
photograph byKoji Asakura
posted2024/07/07 17:00
06年、ドジャース時代の斎藤隆。36歳でのメジャー挑戦における壮絶なサバイバルとは
メジャー契約を結ぶ日本人選手と違って通訳がいないため、首脳陣やチームメートと満足にコミュニケーションが取れない。春季キャンプの練習メニューさえ分からず、自分と同じグループに入っている年齢が一回り以上離れた若手選手の後ろを無言でついていき、動きをまねてメニューをこなすしかなかった。
斎藤はメジャーの春季キャンプに招待されたマイナー選手だった。
メジャーでのプレーが確約されてシーズンに向けてマイペースで調整できる選手とは、全く立場が異なる。オープン戦でアピールしなければ、メジャーへの道は断たれる。日を追うごとにロッカーから1人、また1人とチームメートが去っていくメジャーの厳しさを目の当たりにしていた。
マイナーの炎天下でずっと待機していたら…
キャンプ終盤に斎藤はマイナー降格を告げられた。ただ、メジャーのオープン戦で登板する準備をするよう求められた。昼にマイナーのキャンプが終わると、午後2時頃から始まるメジャーのオープン戦に備えて球場へ向かう。36歳の体には、こたえる。それでも、斎藤に選択権はない。他の投手にアクシデントがあった時に登板するため、初回から9回まで炎天下でずっと待機していた。
大方の予想を覆し、斎藤はドジャースで1年目からブルペンに不可欠な存在となった。
絶対的守護神のエリック・ガニエが故障で離脱し、他のクローザー候補も不安定な投球が続いたこともあって、斎藤は大役を任されるまでの存在となったのだ。
最終的にシーズン72試合で6勝2敗24セーブ、防御率2.07の成績を残した。翌年もクローザーを務めるなど、メジャー4年目の2009年にレッドソックスへ移籍するまで、ドジャースの3年間で180試合に登板して81セーブを記録。2007年にはオールスターにも出場した。
あのままいたら、6年間マイナー契約でした
メジャーを代表する選手に上り詰め、年俸も跳ね上がったと周りは想像していた。ところが、斎藤は驚きの事実を明かす。