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現役最後の打席で浴びたブーイング 「MLB通算175ホームラン」松井秀喜“最後の1年”は逆境の連続だった…それでもアメリカで愛された人柄
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph byGetty Images
posted2024/05/01 17:03
現役ラストイヤーとなった2012年、松井秀喜はレイズで2本のホームランを放った
記者が驚いた気遣い「なんか話があるから来たんでしょ。どうぞ」
その一方で松井はいつもとまったく同じのマイペース。シャワーを浴びた後は遠征地ボルチモアへと向かう旅準備をしていた。
当時、筆者はマリナーズ・イチロー取材の日々で、松井に会うのは冒頭の入団会見以来だった。すると彼の方から話しかけてくれた。
「久しぶりだね。なんか話があるから来たんでしょ。どうぞ」
この状況で気遣いをしてくれることに驚いた。彼が1992年オフに巨人に入団した当時、番記者を務めていた。03年のヤンキース移籍後も彼を追いかけた。常々、彼の懐の大きさには感謝してきたが、この日ばかりはこの展開を予想できなかった。「元気ないじゃん」と声をかけると松井は笑いながら答えた。
「この状況で元気だったら、その方がおかしいでしょう」
既に彼は現状を受け入れていた。私は更に会話を続けた。
「こういうときもあるよ。いつまでも今の状態が続くわけないでしょ」
松井は言った。
「だといいんだけどね」
表情が少し曇った気がした。
現地メディア讃えた“松井の誠実な人柄”
ヤンキース1年目の03年オフ。松井はニューヨークの野球記者が制定した「Good Guy Award」(いいやつ賞)なるものを受賞した。野球の成績でなく、日々の立ち振る舞いを評価する賞があること自体に驚いたが、厳しいジャーナリズムの精神を持つニューヨークの記者たちにとって、松井は模範たる選手であった。
試合前のクラブハウス。日本からやってきた本塁打王に米国人記者たちは入れ替わりで話を聞きに行った。開幕から2カ月がすぎても打率は.250前後、3本塁打に低迷していたこともあり、厳しい質問は続いた。それでも彼はその都度椅子から立ち上がり、通訳を通しながらではあったが、質問者の目を見ながらひとつひとつの質問に誠実に答えた。
“なかなかできることではない”と、ニューヨークのメディアが彼の人柄を讃えるようになるのに時間はかからなかった。