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ソダシ&今浪厩務員コンビは須貝尚介調教師の「配役」だった…吉田隼人&今浪隆利&須貝師が振り返る「伝説の白毛馬」に出会うまで 

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江面弘也

江面弘也Koya Ezura

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photograph byNaoya Sanuki

posted2024/03/08 06:00

ソダシ&今浪厩務員コンビは須貝尚介調教師の「配役」だった…吉田隼人&今浪隆利&須貝師が振り返る「伝説の白毛馬」に出会うまで<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

昨年、引退したソダシと今浪隆利厩務員。稀代のアイドルホースの軌跡を証言とともに振り返る

 '09年に厩舎を開業した須貝はすぐに結果をだす。4年めには46勝をあげてリーディングの6位に躍進し、ゴールドシップらの活躍で重賞も9勝(GI4勝)した。金子からメールが届くのはその翌年のことだ。

 金子から託された最初の馬はブラヴィッシモという牡馬で、阪急杯3着などオープンクラスで活躍した。それからも金子はつづけて馬を預けてくれ、毎年秋になると、1歳馬の名前を記したメールが届いた。

 '19年秋。金子からのメールには3頭の名前があった。そのなかに白毛の牝馬がいた。須貝はすぐにノーザンファーム空港牧場に馬を見に行っている。

「真っ白で、すごいきれいな馬だった。こんな馬をやらせていただけるのかと思うと、オーナーには感謝しかなかった」

須貝が演出した「ソダシ&今浪厩務員」コンビ

 ソダシと名づけられた白毛馬が栗東トレーニングセンターの須貝厩舎にきたのは2歳の4月だった。須貝は今浪隆利を担当厩務員にした。ゴールドシップも担当していた、須貝の信頼も厚いベテランである。「競馬をドラマとして演出するのも調教師の仕事」と考えている須貝は、ゴールドシップの今浪が真っ白な馬を引いていたら話題にもなるし、画にもなるだろうと思った。

 今浪は'58年に福岡県北九州市に生まれた。生家は小倉競馬場の近くで、競馬好きな父に連れられて競馬場に行くうちに馬が好きになり、名古屋競馬場で騎手見習いになった。しかし、体が大きくなり、3年で騎手を断念、「中央で馬を育てる仕事をしたい」と思い、栗東の内藤繁春調教師を紹介してもらう。当時、内藤が育成牧場にしていた優駿牧場で1年間研修し、内藤厩舎にはいった。内藤厩舎には6年ほど勤め、中尾正厩舎に移るとシングルロマン(京阪杯)、ビッグシンボル(阪神大賞典2着)などのオープン馬を担当した。今浪は言う。

「中尾先生の下ですごくいい勉強をさせてもらいました。そのひとつが馬の脚元のチェックを欠かさないことで、いまも毎朝、休みの日も、馬の顔を見て、脚元をチェックするのが日課になってます」

たのしそうに笑いながら振り返るゴールドシップのこと

 中尾正が定年で引退した年に新規開業した須貝厩舎に移った今浪は、'10年からゴールドシップを担当するのだが、2歳のころはおっとりとした馬だったと言う。

【次ページ】 隼人は、競馬にたいしてまじめ

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