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「短距離走」の日本中学チャンプが「長距離走」で日本代表のナゼ…“あの”三浦龍司を超えられる? “破天荒サラブレッド”砂田晟弥の数奇な陸上人生
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2023/08/19 11:01
世界陸上日本代表の砂田晟弥。長距離種目の3000m障害での選出だが、中学時代は短距離種目の400mで日本チャンピオンに輝いている
同じ陸上競技というくくりとはいえ、短距離種目と長距離種目で求められる要素が全く違うことは想像に難くない。幼少期に短距離系の種目トレーニングに取り組んでいた長距離ランナー自体はいないことはないが、砂田のように日本でも有数のレベルの選手がこういった転向をするのは極めてレアケースだ。
それでも長距離に挑戦して数カ月の高校3年生の秋には5000mで14分55秒をマーク。記録的には高校トップ級には程遠いかもしれないが、長距離に転向して数カ月でこのタイムを出すのは決して簡単なことではない。砂田の非凡さの一端を感じさせるエピソードだ。
高校卒業後は大学ではなく実業団へ
高校卒業後の進路として、砂田は大学ではなく実業団を選んだ。長距離で実績のない選手を実業団チームが採用するのは異例のことだっただろう。
思い返すこと4年前、当時プレス工業の監督だった上岡宏次氏がこんなことを話していた。
「来年面白い選手が入ってくるんですよ」
その「面白い選手」が、何を隠そう砂田だった。
当時のプレス工業は外国籍の選手が在籍しておらず、ニューイヤー駅伝には日本人選手だけで臨んでいた。そのため、ケニアやエチオピアの選手が多数起用されるインターナショナル区間で遅れをとっていた。スピードあるアフリカ勢に対抗するためには、長距離の能力は未知数とはいえ、短距離で実績のある砂田のスピードを上岡氏は魅力的に思っていた。
駅伝での活躍が期待されていたのはもちろんだが、砂田自身は当初から3000m障害への挑戦を考えていたという。プレス工業に入社を決めたのも同種目の実力者である滋野聖也がおり「一緒にハードル練習ができると思った」からだった。
高校時代から3000m障害で活躍していた三浦や菖蒲とは同学年だったこともあり、「僕は400mハードルをやっていたので、もっと走力が付けば(三浦と)同じぐらいでいけるんじゃないか……と思い込んでいました」と砂田は笑う。
社会人1年目の秋には長距離を本格的に始めて1年足らずにもかかわらず、5000mの記録を14分ちょうどまで伸ばす。希望していた3000m障害にも初挑戦することもできた。
「やっぱりまずはもっと走力を付けていかないといけないなと思いました」