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大谷翔平18歳がいた花巻東は“なぜ負けた?” 岩手のライバル校監督が明かす“仮想大谷の7日間”…選手の声「やってきたことは間違いじゃなかった」
posted2023/06/27 11:03
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
KYODO
「スーパー1年生」大谷翔平の登場
春の県大会初戦。4番バッターとして登場した話題のスーパー1年生と対峙した盛岡大附は敗れた。そこから同年秋、2011年春秋と、直接対決で4連敗を喫した。
危機感を抱いた関口(清治/盛岡大附監督)が、英断を下す。
「それまでは、バントや機動力を駆使して投手を中心に守り勝つ、花巻東のようなスタイルだったんです。でも、相手のほうが洗練されていると感じまして。『同じ野球をやっても追いつけない。これからは打ち勝つ野球を目指そう』と」
花巻東に敗れた秋から、練習の8割以上をバッティングに割いた。冬を越えた頃には技術も筋力も格段にアップし、1日2試合の練習試合では計10本のホームランが飛び出る日もあったという。春には県大会、東北大会ともに花巻東を倒し、成果も出した。ただ、いずれも大谷は登板しなかった。
その大谷が、夏に伝説を残した。
「160km」をどう打つか? 伝説の“仮想大谷”
準決勝で当時の「高校生最速」となる160kmをマークした歴史的瞬間を、関口は球場一塁側の控室で目撃していた。
すごい。率直に嘆息を漏らしたが、すぐさま「打ったら面白い」と心でにやついている自分にも気づいていた。
確かに、追い風は盛岡大附に吹いていた。
2012年はプロ野球オールスターゲームが岩手県営野球場で開催される関係で、準決勝から決勝まで1週間ほど日程が空いた。つまり、十分に対策できる時間が用意されていたことになる。
「仮想大谷」として、165kmまで設定できるマシンを、通常の距離よりさらに4m近づけて設置する。そこに関口が“オータニ君”と書いた紙を貼る。ユーモアを出せるだけの余裕もあった。