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芸能界入りで勘当、顔面負傷のトラウマ…白川未奈、泣き崩れてもタダでは起きない“ド根性”プロレス人生「生まれた時から“闘い”だった」
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byEssei Hara
posted2023/06/17 11:02
5月27日、中野たむとの“赤白2冠戦”に敗れ号泣する白川未奈
親から勘当も…「悔しい思いの分だけ強くなった」人生
たむとのタイトルマッチではなく、白いベルトへの挑戦者を待っていたら、このタイミングで“丸腰”になることはなかったかもしれない。チャンピオンとしての栄光を、長く味わえたかもしれない。しかし彼女の人生に“待ち”という選択はないのだった。あるのは“攻め”だけだ。
「本当に悔しい。2冠を目指したことで調子に乗ってるとかさんざん批判されたし。でも、自分が選んだ道に後悔はないです。あぁ、でもやっぱり悔しいな……」
自分の武器は、人よりも悔しい思いをしてきたことだと白川は言っていた。芸能界では数え切れないくらい壁にぶつかった。東京女子プロレスを経てスターダムでコズエンを結成すると「中野たむとそれ以外」と呼ばれた。「白川はおっぱい揺らしとけばいいんだ」と言う者さえいた。
悔しさを乗り越える人生はいつから始まったのか。「たぶん生まれた時から」だと言う。
「親が厳しかったんです。子供の頃から親が選んだ習い事しかできなかったし、大学も就職も親の希望を聞いて。芸能界に行くと決めたら勘当されて。そこからグラビア、プロレス。始めるのが遅いから不利で、でも悔しい思いをしてきた分だけ強くなれた。何をするにも闘いだったから。そう考えると親に感謝ですね」
白川未奈の“ド根性”
すべてを自分で切り拓くしかなかった。デビュー2戦目はメキシコ遠征。帰国すると東京女子プロレスにも参戦する。参戦挨拶でリングに上がった時、彼女はビキニ姿だった。偏見を逆手に取る“グラビア魂”もあっただろうし、絶対にインパクトを与えてやろうという強い意気込みを感じた。ド根性とか土性っ骨とか、そういう言葉で表したくなるマインドだ。
「ずっとそうです。グラドルとしてバラエティ番組に出る時も、スターダムの記者会見でも。必ず爪痕を残してやるんだって」
白川には“悔しさを感じるセンス”がある。そして悔しさを乗り越えるための努力ができる。
「人生の中で“仕方ない”なんて思ったことは一度もない」
そう語る白川。たむとの2冠戦では人生でも最大級の悔しさを味わったが、やはり「仕方ない」で済むわけがなかった。