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チームオーダーの是非やいかに? ペレス、ウェーバー、バリチェロ…「非情な現実」を戦うセカンドドライバーの反乱史
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2022/12/23 06:01
(左から)ペレス、ウェーバー、バリチェロ。時代は異なっても、それぞれがセカンドドライバーの悲哀を味わってきた
これまでもF1ではセカンドドライバーの反乱が何度かあった。1チーム2台体制が確立した90年代以降のF1で、チーム内の序列をファーストとセカンドと明確に分けたのはミハエル・シューマッハだった。ベネトン時代はヨス・フェルスタッペンやジョニー・ハーバートに対して、待遇面で優遇されていた。トップドライバーを必要としていたチームはシューマッハの要求を断ることはできなかった。
このチーム内の序列をチームオーダーという戦略として採用したのが、ベネトンでシューマッハとレースを戦った後、フェラーリに移籍した指揮官のロス・ブラウンだった。優秀なドライバーを2人そろえても、チャンピオンになるのは1人。ならば、どちらか一方のドライバーにポイントを集中させたほうがいいという合理的な考えだった。
シーズン初勝利すら奪われたバリチェロ
しかし、この考えは時にセカンドドライバーに必要以上に犠牲を強いることとなり、反発を招くことも少なくなかった。2002年のオーストリアGPは、その典型的なレースだった。このシーズンは開幕からフェラーリが好調で、5戦を終えてシューマッハが4勝とチャンピオンシップ争いを独走していた。6戦目のオーストリアGPはシューマッハのチームメートのルーベンス・バリチェロがポールポジションからスタートして、シーズン初優勝に向けてトップを走行していた。
ここでフェラーリがチャンピオンシップ争いをより盤石なものにすべく、バリチェロにチームオーダーを出して2番手にいたシューマッハと順位を入れ替えるよう無線を送る。バリチェロは最後まで抵抗したが、「契約にチームの命令に従うという条項があった」(バリチェロ)という理由から渋々、同意。ただし、ポジションの入れ替えをファイナルラップの最終コーナーを立ち上がった後のフィニッシュライン手前のギリギリで行うことで、チームへの抗議の態度を示していた。
さらにレース後にはこう言って、雪辱を期していた。
「強い意志を持ってベストを尽くせば、これからいくらでも勝つチャンスはある」
しかし、そのチャンスはバリチェロが想像していたより、はるかに少なかった。タイトル争いをすることなく2005年限りでフェラーリを去ったバリチェロは、次に巡ってきたチャンスとなった2009年のブラウンGPでもジェンソン・バトンのセカンドドライバーに甘んじ、無冠のまま2011年を最後にF1を去った。