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“20代で年収約2000万円”エリート商社マンの肩書を捨て、フィットネスで日本一になった男「なぜ“筋肉の道”を選んだか」 

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山崎ダイ

山崎ダイDai Yamazaki

PROFILE

photograph byTomohisa Watanabe

posted2021/07/05 17:01

“20代で年収約2000万円”エリート商社マンの肩書を捨て、フィットネスで日本一になった男「なぜ“筋肉の道”を選んだか」<Number Web> photograph by Tomohisa Watanabe

「クロスフィット」で日本一になった板谷友弘(36歳)。元商社マンの肩書を持つ

 だからこそ、レベルが上がれば上がるほど、「これは勝てない」という選手に何人も出会ったという。

 パワーも、スピードも、ある一要素の勝負になった時、常にそこには破格のポテンシャルの持ち主が立ちはだかった。

「プレーしていたのは3年間でしたが、そこでアメフト選手としての限界みたいなものはなんとなく見えていたのかな」

 そんな折、当時勤めていた財閥系商社からスイス駐在の話が舞い込んだ。

「いい機会でもあったので、そこでスパッとアメフトは引退しました」

20代にして年収約2000万円、でも……

 そうしてスイスに赴いた板谷は、現地のコミュニティに属すという意味も兼ねて、クロスフィットを本格的にやってみようと考えた。

「ヨーロッパはクロスフィットが盛んだから、ジムとかも身近な場所にたくさんあるんですよ。せっかく経験はあったし、そこに通えば何となく現地の空気感にも慣れるかなと思って。そうしたら、通ったジムに世界大会とかにも出ているような選手も何人かいたんですよね。でも、その人たちを見た時に、アメフトの時に感じた『あ、これは絶対に無理だ』みたいな感じがあんまりなくて」

 この人たちが世界大会に出られているなら、俺も頑張ればいけるんじゃない――?

 シンプルにそんなことを思いながら、競技にのめりこんでいった。

 一方で、商社マンとしての仕事面でも決して充実感がなかったわけではない。

 資源のトレーディングを担当する部署に所属し、日々忙しく働いていた。当時の年収は20代にして既に2000万円近く、待遇に不満などあろうはずもなかった。

 ただ、そんなときにふっと頭をよぎる疑問があった。

「毎日仕事をしている中で、『あれ、俺って何がやりたかったんだっけ?』って考えちゃったんです。例えば就活の時って、志望動機として『大きなビジネスを通じて、世界中の人を幸せにしたいです』みたいなことを言うじゃないですか。もちろん半分は建前なんですけど、あれって結構、核心を突いている気がして」

 自分は誰に、何を売っているんだろう? この資源の粉は、いったい何の役に立っているのだろう――?

【次ページ】 「この人たち、運動したら幸せになるのになぁ」

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#板谷友弘

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