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野村野球の継承を誓う高津新監督。
ヤクルトを導くための“武器”とは?
posted2020/06/25 08:00
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Kyodo News
開幕前にヤクルト・高津臣吾新監督に話を聞いた。テーマは「野村克也の言葉」で、『Number PLUS』最新号「野村克也と名将の言葉学。」に掲載するためのものだった。
このインタビューでは、監督と選手という立場だった1990年代から野村氏が逝去されるまでの折々の思い出と、その言葉について尋ねた。
このとき強く印象に残ったのが、「自分が監督となった今こそ、もう一度じっくり意見を聞きたかった」、「自分が年を重ね、少しずつ野村さんとの関係も近くなったからこそ、ゆっくり話をしたかった」、あるいは「僕の野球を見てもらいたかった」と、高津が何度も繰り返したことだった。
「監督と選手」という立場であり、すでに還暦だった野村とまだ20代だった高津。この頃、両者の距離ははるかに遠いものだった。しかしその後高津は、日本からアメリカに渡り、さらに韓国、台湾、そして日本の独立リーグでもプレーをした。通算286セーブを記録し、名球会メンバーにもなった。
すでに50代となり監督に就任した今なら、また新たな関係性を築けるのではないか? 今までにない気づきや発見があるのではないか? 高津の言葉の裏には、そんな無念さが透けて見えるようだった。
監督就任のあいさつで……。
言葉の人であった野村について、彼はこんなことを口にした。
「褒められたことはほとんどなかったですけど、いつもいいタイミングで野村監督は言葉をかけてくれました。選手たちに自ら考えさせるような言葉をくれました。でも、皮肉の方が強く印象に残っていますけどね。監督就任が決まって、ごあいさつに行ったときも、“他におらんのか?”って言われましたから(笑)」
それでも、高津はきちんと理解していた。
「監督は絶対に口にはしないけど、僕がヤクルトの監督に就任したことは絶対に嬉しかったはずですよ。だからこそ、野村監督に僕の野球を見てもらいたかった。いろいろアドバイスをもらいたかった……」
無念そうに高津は言った。おそらく、野村もまた愛弟子がどんなチームを作り、どのような野球を展開するのか、自らの目でしっかりと見届けたかったに違いない。