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父の名前を継ぎ、祖父を仰ぎ見る。
二代目琴ノ若が背負う3つの時代。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byShoko Sato

posted2019/07/09 07:00

父の名前を継ぎ、祖父を仰ぎ見る。二代目琴ノ若が背負う3つの時代。<Number Web> photograph by Shoko Sato

二代目琴ノ若(左)が、佐渡ケ嶽親方(右)とともに。琴ノ若の右手側奥に、母方の祖父である元横綱琴桜の額が見える。

幼稚園児に「1位じゃなきゃ意味がない」。

 父親ゆずりの“のんびり屋”は、塚原、琴手計と埼玉栄出身の後輩たちの勢いにも焦りを感じたと吐露していた。

 そして“先代”と呼ばれる祖父、琴櫻との想い出を、ひとりの孫として回想する。

「僕が歩けるようになった頃から、ほぼ毎日のように近所のスーパー銭湯に通い、いつもアイスを買ってくれていました。幼稚園の時、近隣の相撲大会で2位になり、銀メダルをもらったんですが、祖父には『1位じゃなきゃ意味がない。2位、3位は誰かに負けたということ。金メダルを取って来い!』と言われたんです」

 目に入れても痛くないほど可愛い孫にも、元横綱として“勝負師”の顔を見せていたという。琴ノ若誕生時の先代は、「将来は相撲取りだ!」と諸手を挙げて喜び、琴ノ若は、まさに祖父の思惑どおりに“相撲の申し子”となる。

4歳でまわしを付けて毎日稽古。

 2、3歳で、まだひらがなも読めない頃に、関取衆の四股名は全部読めたという。毎日、脇を締めてすり足の稽古をし、ひとりでコロンと転がり、見よう見まねで受け身の練習も。靴ではなく、下駄や雪駄をはいて外出し、電信柱を見るとすかさずテッポウをしていたほどだ。

 4歳になると、まわしにさがりまで付け、毎日、祖父に稽古をつけてもらった。その後は、祖父の隣に座って力士たちの稽古に真剣に見入ってから、小学校に登校するように。往年の祖父のビデオを観て、のど輪などの技も覚える“相撲の申し子 かっちゃん”となるのだった。

 母であり、部屋のおかみさんである真千子さんが、2002年のインタビュー時、幼少時の息子について語っていたことがある。初代琴ノ若――父がまだ現役力士だった頃のことだ。

「場所中、関取の負けが込んできて稽古場で父(元琴櫻)に叱られると、息子は普段は父のことをオーパ(大パパの略)と呼んでいるのに、かしこまって『親方、相撲は僕が頑張りますから、パパを怒らないでください』と。関取には『パパ、かっちゃんが相撲頑張るから、もう辞めていいよ』と言うんです」

 おままごと遊びでは、「お客さん、熱いから気をつけて。おかわりはどう?」と、ちゃんこ時の祖父の言葉を真似るなど、幼少時の微笑ましいエピソードが満載の琴ノ若だが、生まれながらの宿命――「家業」として、当然の如く相撲の道へ進む。

【次ページ】 昭和の横綱琴櫻と平成の琴ノ若を背負う。

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