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ノア・丸藤正道が三冠王座挑戦!
古巣登場が動かした“歴史”の重み。
posted2018/05/31 16:30
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
試合前の映像で使われた「三冠の歴史に刻まれる一大決戦」というキャッチコピーに誇張はなかった。
5月24日の全日本プロレス、後楽園ホール大会のメインイベント。三冠ヘビー級王者・宮原健斗に挑んだのはプロレスリング・ノアの丸藤正道だった。当然ながら、ただの「他団体からの参戦選手」ではない。
ノアは2000年に三沢光晴ら、全日本プロレスを退団した選手たちが旗揚げした団体だ。日本テレビでのレギュラー中継も、全日本からノアに移った。ゼロ年代、ノアは三沢、小橋建太、秋山準といった選手たちの活躍で日本武道館大会を定期開催、東京ドームにも進出。だが業界の盟主の座は長くは続かなかった。
2009年3月で地上波中継が打ち切られ、同年6月には三沢が試合中に倒れ早逝。経営危機も囁かれるようになったノアから抜け出し、古巣である全日本に参戦する選手たちも出てきた。その中心が秋山だった。
ノアを去った秋山が、全日本の“再興”へ。
しかし、その全日本からは社長だった武藤敬司の一派が退団し、新団体WRESTLE-1を旗揚げ。全日本は秋山を社長とする新体制で再出発することになった。
決して楽な経営ではなかったはずだが、秋山体制の全日本は徐々に熱気を取り戻していった。その要因の1つは、いわゆるインディーの選手たちの活躍だ。
伝統のリーグ戦チャンピオン・カーニバルで、一昨年は大日本プロレスの関本大介、昨年はDDT出身のフリー・石川修司が優勝。石川は三冠王座も獲得している。出自に関係なく“デカくてデキる”選手が集まる舞台となった全日本。ファンはその迫力だけでなく、秋山体制の柔軟かつ攻めの姿勢にも惹かれた。
一方のノアはここ数年、新日本プロレスとの交流・提携に活路を見出してきた。2016年には丸藤がG1クライマックスにエントリー、オカダ・カズチカを下した試合がプロレス大賞の年間ベストバウトに選出されている。
ノアマットでは新日本から戦場を移してきた「鈴木軍」との闘いが軸に。ベビーフェイス対ヒールの図式だが、鈴木みのると丸藤のマッチアップには“名人戦”といった趣もあった。