マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
16歳の大谷翔平に衝撃を受けた地。
「晩秋のセンバツ」で熊野が燃える!
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byMasahiko Abe
posted2017/12/03 07:00
雄大な風景の中でしのぎを削る「ベースボールフェスタ・熊野」。高校野球通であれば足を運びたい垂涎の大会だ。
熊野まで自腹で来てもらうが、強豪が集まる。
横浜高に足を運んで「おいでいただけないか」と直談判に及んだのを皮切りに、ツテを求めて強豪校、有名校に臆せず参加をお願いにまわった。
そんなバイタリティが、ここまで「くまのベースボールフェスタ」の質を上げ、10年以上継続させてきた要因になったのだろう。
いわゆる招待試合ではないので、参加校には自腹で熊野まで来てもらう。宿泊費もかかるから、来るほうは何かと“もの入り”だが、来ればなかなか出来ない強豪、名門との試合ができて、選手たちにとっても強烈な刺激になって、いい事ばかり。毎年、参加してくれる常連校も徐々に増えて、年を追うごとに活況を呈している。
今年が16年目と聞いたから、ずいぶんと続いたものだ。実行委員会の皆さんには、敬意を表すばかりである。
“頑張る”とは、続けることなのだ。
菊池雄星、大谷翔平の怪物ぶりを初めて見た地。
初めて取材に伺ったのが、2007年の秋だったと思う。ほぼ全国からやって来た高校チームの顔ぶれがすごかった。
東海地区から宇治山田商、大府高、市立岐阜商。ここまではわかるが、近畿からは近江に智弁学園、北陸から遊学館高に富山一高、“みちのく”から花巻東が遠路はるばるやって来たのには驚いた。
まだ1年生だった花巻東・菊池雄星(現西武)が、遊学館高相手の4イニングで9三振を奪った快速球に、ウワサ通りの快腕ぶりを実感したのもここ熊野だったし、その3年後、同じ花巻東・大谷翔平の実物を初めて見たのもやはり、この熊野だった。
確か、第1試合だったと思う。
岩手・花巻からバスで夜通し走ったのに、どこかで渋滞にあってしまって、グラウンドに着いたのが試合開始の15分前ぐらい。選手たちはバスから降りるなりグラウンドに散って、すぐさまアップだ。
あっという間に試合開始になった。4人目の打者が大谷翔平だった。
きれいに背中がまっすぐ立って、構えたバットもスッと天空を向いていた。
ちょっと違うぞ……と見ていた初球だ。真ん中あたりのストレートをしなやかなスイングで弾き返したライナーがまたたく間に右中間を抜いていく。
こんなにスゴいと思わず浅めに守っていた右翼手が、フェンスに跳ね返ったボールに追いついた時には、すでに大谷翔平は三塁ベースめがけて猛烈なスライディングをかましていた。