フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
「これからも笑顔を忘れず、前進を」
浅田真央が私たちに残した“レガシー”。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byAsami Enomoto
posted2017/04/12 15:00
現役最後の大会となった昨年末の全日本選手権、フリー演技。左膝の怪我を押しての出場だった。
悔いの残らない最高の演技を、もう何度も見せてくれた。
大方の関係者が予想していたのは、浅田は次の全日本選手権で悔いのない滑りを見せて、引退をするのではないだろうか、ということだった。
だが浅田は、もうその段階を超えていた。
彼女はすでに悔いの残らない最高の演技を、これまで何度も私たちに見せてくれていたのである。
「ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。」(本人のブログより)
「フリーは真央が1位で当然だった」
世界選手権もそうだが、ソチ五輪フリーで彼女が見せたラフマニノフのプログラムを、誰が忘れることができるだろう。
フリー翌日にソチで会った元アイスダンス五輪チャンピオンのグエンダル・ペイゼラは「フリーは真央が1位で当然だった」と憤慨したが、ジャッジはあの演技に相応しいスコアを与えてくれなかった。だがあれは女子フィギュアに永遠に輝く、1つの記念碑だと思う。
皆に思い出して欲しい演技というものを、彼女はすでに出し切っていた。その上で、まだ滑りたい、もう少し挑戦してみたいという思いにかられて2015年に競技に戻ってきて、選手として燃え尽きるまでその生き様を見せてくれたのである。
復帰は周囲からのプレッシャーではないかという憶測も流れた中で、本人がこうして復帰していなければ、後悔していたとはっきり表明しているのは、救いである。