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独立リーガー梶田宙、異例の引退式。
ジーターより、稲葉よりも輝いた日。 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byKei Nakamura

posted2014/10/08 10:40

独立リーガー梶田宙、異例の引退式。ジーターより、稲葉よりも輝いた日。<Number Web> photograph by Kei Nakamura

梶田宙(ひろし)は亨栄高校(愛知)から愛知大学を経て高知ファイティングドッグス入り。引退セレモニーでの胴上げには、相手チームの選手も参加した。

四国ILでは異例づくめだった、梶田の存在。

 梶田は四国ILでは、異例づくめの選手だった。

 10年間プレーしたことも、単独で引退試合を行なったことも、個人スポンサーがついていたのも、国内独立リーグでは梶田が初めてだ。

 そもそも四国ILは、若く、潜在能力を秘めた選手をNPBに送り込むことを目的に発足したリーグで、創設当初は、年齢制限があった。それでは選手の数と質を確保できないとまもなくその制限は撤廃されたが、当初のルールであったならば、梶田はとっくに引退していたはずの年齢だ。

 その設立趣旨にも表れていたように、本来、独立リーグは選手が長くいるための場所ではない。しかし選手の入れ替わりが頻繁だと、ファンが定着せず、球団運営が成り立たない。そこで高知は、もっとも人気が高かった梶田を球団の看板選手として育てようと、個人スポンサーを紹介するなど金銭面でバックアップし、長くプレーできる環境を整えた。

 こうして四国ILでは初めて、NPBを断念しながら、それでもプレーを続ける選手が誕生したわけだ。

ジーターでも稲葉でもなく、梶田がヒーローだった。

 もちろん、そこには梶田にしかわからないジレンマもあった。

「20代半ばを過ぎてからは、『何してるんだろう、俺』って悩むこともありましたよ。早く次の道を探した方がいいんじゃないか、と。もちろん野球は好きでしたけど、辞めるに辞められないという感じもありましたから」

 今後のことは、まだ白紙だ。ただ球団社長の武政重和は言う。

「もうこんな選手は出てこないでしょうね。梶田の人柄があったればこそ、こうして個人スポンサーがついてくれたというのもある。高知の企業で梶田の名前を知らない人はいませんからね。県内だったら、たいていのところに就職できるんじゃないですか」

 10年選手をつくるというのは、ある意味で四国ILの理念に反している。つくれないと同時に、つくるべきではないという意見もある。

 しかし、まだまだ課題も多い独立リーグだが、設立10年目で梶田のような選手が存在できたことも、ひとつの成果といっていいのではないか。引退記念試合を観戦し、素直にそう感じた。

 少なくとも、あの日、四国の片隅の球場に集まったファンにとってのヒーローは、ジーターでも稲葉でもなかった。背番号「0」を背負った梶田だった。

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