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<2014年の米ツアーを占う> 石川遼&松山英樹 「王者へのステップ」
text by
舩越園子Sonoko Funakoshi
photograph byAFLO
posted2013/11/28 06:01
年間参戦した石川が味わった「何で?」の連続。
「スポット参戦のときは、いい結果が出せたけど、年間通してやると(いろんなことが)全然違う。慣れなんて関係ないと思っていたけど、『何で? 何で?』って、上手くいかないことばかりで……。米ツアーの舞台や雰囲気に馴染むのに時間がかかった。こっちで長くやることこそが大事だなと思った」
石川がスポット参戦という形で米ツアーに出始めたのは'09年。ノンメンバーという立ち位置で4年も「事前勝負」の経験を積み、その上で昨季の正式デビューを迎えたが、それでも米国に拠点を置きながら正式メンバーとして初めて臨んだ昨季は、それまでの4年とは「全然違った」と石川は言った。
自分は大丈夫と高を括っていた「慣れ」、いや「不慣れ」のせいで、いろんなことが思惑外れの方向へ動いていった。「不慣れ」の中には米国の生活習慣や食べ物、英語なども含まれていたのだろうが、石川が最も手こずった「不慣れ」は米ツアーメンバーとしての戦略戦術という最も基本的な部分だった。
現在の米ツアーの強さの指標とされるフェデックスカップポイントを、いかに効率よく稼ぐか。そのための肉体管理とスケジュール管理。試合の選定、練習時間と練習方法。そして、厳しいサバイバル合戦を耐え抜くためのメンタル面のコントロール。
「知らないことが多すぎた。失敗体験、成功体験、どちらの絶対値も少なすぎた」
心身ともにギリギリの状態ながら今季出場権を死守。
昨季序盤は腰痛が原因で十分な練習ができなかった。中でもパットは「前の年の暮れから完全に練習不足。それで入らなくなったら精神的にエネルギーを使い、悪い連鎖が起こっていった」。腰痛は悪化の一途。だが、予選落ちが続く中、さらに試合を休む決心はできなかったと石川は明かした。
「休めば、抜かされると思った。試合に出ないことが怖かった」
だから肉体的にも精神的にもスケジュール的にも無理をした。その無理がさらなる負の連鎖を招いた。「初優勝を目指して勇んで米ツアーに来たけど……」。肩を落とし、シードからも落ちかける窮地へ。
その窮地を脱することができなければ、石川に2年目は来ない。やっぱり勝負を求められるのは1年目。最初の年こそが運命の分かれ目。そう思わずにはいられなかった。
フェデックスカップランク125位以内に残れなかった石川は、下部ツアー・ファイナル4戦に進んで好成績を出し、敗者復活の形で今季の出場権を死守した。苦しい戦いではあったが、ともあれ彼は1年目の勝負にぎりぎりで勝ち残り、2年目を迎えることができた。
「あれから時間が経って、いろいろ苦しい時期もあって、今はメンタル的にリカバリーできているのかな」
今季の開幕第2戦、シュライナーズホスピタル・オープンで2位になった石川は、穏やかな表情で、そう振り返った。