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<韓国人Jリーガーの想い> 若き3人のコリアンはなぜ“イルボン”を選んだのか。~金民友、呉宰碩、チョ永哲~
text by
慎武宏Mukoeng Shin
photograph byYoshiko Kojima
posted2013/06/06 06:00
鳥栖でプレーする金民友。
政治に歴史に領土問題。隣国ゆえの宿命か、ときに日韓はいがみ合う。
だがその窮屈さをものともせず、多くの韓国人フットボーラーは
イルボン=日本を新天地に選んできた。創立20周年を迎えたJリーグで、
先人たちが歩んだ道をなぞりつつ、新たな地平を切り開く
23歳の若者、三者三様の奮闘記。
だがその窮屈さをものともせず、多くの韓国人フットボーラーは
イルボン=日本を新天地に選んできた。創立20周年を迎えたJリーグで、
先人たちが歩んだ道をなぞりつつ、新たな地平を切り開く
23歳の若者、三者三様の奮闘記。
忘れられない言葉がある。Jリーグ初の韓国人選手である盧廷潤(ノ・ジョンユン)の言葉だ。ジーコやリネカーなど大物外国人との対決を求めて、大学卒業後の1993年に来日した彼は言った。
「失敗したら二度と韓国には戻れない。そんな覚悟で日本の土を踏んだ。何しろ韓国では裏切り者と罵られていたから」
当時は日韓関係が今よりも険悪で、韓国では“日本サッカーは格下”と見なす時代だった。盧廷潤の年俸は大物外国人より格段に安く、新婚の妻と広島市内のスーパーのタイムセールに通って生活費を切り詰めながら年俸の多くを両親に仕送りしていたが、「金のために日本に媚を売るのか」とも罵られたという。
この盧廷潤が韓国人Jリーガー第1世代とすれば、'96年以降に来日した高正云(コ・ジョンウン)、黄善洪(ファン・ソンホン)、河錫舟(ハ・ソクチュ)、柳想鐵(ユ・サンチョル)、崔龍洙(チェ・ヨンス)らは第2世代と言える。Kリーグで実績を積み、韓国代表の主軸でもあった彼らは、高額年俸に加え専任通訳、住居、高級車も用意されるなど、待遇も良かった。'02年W杯共催の友好ムードもあって、その動向は韓国でも詳細に報じられた。