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19年間を戦い抜いたF1界の鉄人。
バリチェロはこのまま引退なのか?
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byHiroshi Kaneko
posted2011/12/18 08:02
ホンダが突然撤退宣言をした2008年よりは今の状況は悪くない、という主旨のコメントを発表し、新たなスポンサー探しに奔走するバリチェロ。それが事実ならば、来年も彼の姿をサーキットで見られるはずなのだが……
「セナの後継者」という重みに負けたフェラーリ時代。
そして、その十字架の重みに耐えられず、何度もひざまずいたのがスチュワートとフェラーリ時代の9年間だった。
常勝チームだった2000年代前半のフェラーリで、タイトル争いを演じられなかっただけでなく、母国グランプリでも一度も勝てなかったバリチェロは、'06年にホンダに移籍。しかし、そのときバリチェロの背中には背負うべき十字架はなかった。代わりにそれを背負って母国の期待を担ったのは、後輩のフェリペ・マッサだった。
それでもバリチェロはレースを辞めなかった。
むしろ、バリチェロがバリチェロらしいレース人生を送るのは、それからだった。
'08年11月。バリチェロにとって16年目のシーズンが終了したとき、バリチェロに翌年のシートはなかった。その年で契約が切れるバリチェロに代わって、ホンダが'09年に向けたテストでステアリングを握らせたのが、ブルーノ・セナだったからである。
屈辱の契約条件をはね返した、5年ぶりの復活優勝。
ところが翌月、想定外の事態が起きる。ホンダがF1から撤退したのだ。
チームは存亡の危機に立たされ、すべてが白紙に戻された。そして、新チームを立ち上げて'09年シーズンに参戦することを決意したロス・ブラウン代表がジェンソン・バトンのチームメートに選んだのが、自宅のトレーニングルームで毎日、黙々と汗を流していたバリチェロだった。
しかし、このとき、ブラウン代表はひとつだけ条件をつけた。それは「もし、多額の持参金を擁するドライバーが現れた場合は、交替してもらう可能性がある」ということだった。屈辱とも思える内容だったが、バリチェロはその条件をのむ。なぜなら、それしか現役を続ける道がなかったからである。そして、その危機もバリチェロは見事に脱出する。それだけでなく、ヨーロッパGPで'04年以来となる優勝を遂げるのである。5年ぶりの優勝は、母国の大先輩がだれも果たしたことがない見事な復活劇だった。