Column from EuropeBACK NUMBER
シーズン開幕が待ち遠しい、個人的な理由。
text by
原田公樹Koki Harada
photograph byAFLO SPORT
posted2004/08/16 00:00
こんなに開幕が待ち遠しいのは何年ぶりだろうか。稲本潤一も川口能活もいないが、今季のプレミアシップはまるで博覧会である。欧州の有名どころが続々とイングランド入りしている。オランダ代表のパトリック・クライファートがニューカッスルへ加入し、かつてスペイン代表の主将として活躍したフェルナンド・イエロがボルトンへ移籍。ベテランだけではない。名前はあまり知られていないが、今後数年でトップ選手の座へのし上がる可能性を秘めた若手も、続々とドーバー海峡を渡った。
欧州でもっともボール扱いが上手い、と評されるフェイエノールトのロビン・ファンペルシはアーセナルが獲得し、さきの欧州選手権で準優勝の立役者となったポルトガル代表のリカルド・カルバーリョは、チェルシーが40億円もはたいて買った。11歳からバルセロナのアカデミーで英才教育を受けてきた17歳のジェラード・ピケは、マンチェスター・ユナイテッドへ加わっている。
プレミアはこの数年、欧州5大リーグ(イングランド、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ)のなかで、もっとも経済的な成功を収めており、選手の平均年俸も上がっている。富と名声を得たい選手たちが、集まってくるのは当然だ。プレミアファンにとっては、有名ベテラン選手や、高額な選手、将来を嘱望された選手が、敵味方かまわずプレーするのを見られるのはこたえられないだろう。
ただし、開幕を心待ちしているのには個人的な理由もある。「いつか、ヨーロッパでプレーしたい」と語っていた苦労人が、ついにイングランドへやってくるからだ。その苦労人とはラドヒ・ジャイディというチュニジア代表の選手である。2002年のワールドカップで、日本がチュニジアに2−0で勝った大阪での一戦で、背番号「15」をつけていたセンターバック、といえば、思い出す方もいるかもしれない。彼はこの夏、ボルトンと5年契約を結んだ。
ラドヒと最初に出会ったのは、2002年1月、西アフリカのマリで行われたアフリカ選手権だった。ワールドカップ前にチュニジアの敵情偵察をして、記事を書くためである。真っ赤な荒れ果てた大地と照りつける太陽、マラリア蚊の恐怖との戦いながらの滞在だった。取材も難航した。チュニジアの選手へインタビューしたいが、こちらはフランス語もアラビア語もダメ。困り果てたとき「ラドヒなら英語を話すぞ」と耳にした。さっそくホテルのロビーで声をかけると、その場で懇切丁寧にチーム事情から個人的なことまで何でも答えてくれた。
ワールドカップ直前、チュニジアへ取材に行ったときには、「よく来てくれたね。でも時間がないんだ」といいながら5分、10分と話してくれた。チームメイトが呼びに来ても、こちらの質問が途切れるまでインタビューを打ち切ろうという気配さえ見せない。ピッチでは頑強な身体をぶつけて激しいプレーをみせるが、実はやさしい男なのである。
「将来の夢は?」という質問に対して、「ワールドカップでいいプレーをして、ヨーロッパのクラブへ移籍すること」と、平原に沈む夕日を見ながら答えた姿は今でも忘れられない。僕は「ラドヒにはイタリアとか、ドイツというより、イングランドが向いていると思う。ラドヒが好きなデサイーもチェルシーで成功しているし。じゃあ英国で待っているよ」とアドバイスして別れを告げた。
しかしワールドカップでは1分け2敗で1次リーグ敗退。当然、オファーは来なかった。昨シーズンもウエストハムのトライアルを受けたが正式契約には至らず、チュニジアリーグのエスペランセでチャンスを待ち続けていた。
今年はアフリカ選手権で地元優勝を飾り、オランダのPSVや、フランスのパリサンジェルマンなど強豪クラブからオファーが届いたが、ラドヒが選んだのは北イングランドの弱小クラブ、ボルトンだった。
28歳にしてようやく夢を掴んだ男の新天地は、なぜボルトンだったのか。給与が一番高かったのか、それともレギュラーで出られる可能性が高かったからか。もしかすると2年前に「イングランドが一番合っている」と告げたからだろうか。シーズンが開幕したら、さっそく理由を聞きにいこうと思っている。