プロレス重箱の隅BACK NUMBER
ネタ満載の、ニクいヤツ
text by
丸井乙生Itsuki Marui
photograph byTadahiko Shimazaki
posted2004/11/12 00:00
実直で誠実、義理人情に厚い。プロレスリング・ノアはそんな人柄の団体である。石橋を叩いて渡る三沢光晴が社長を務め、GHCヘビー級王者・小橋建太は現代社会で貴重なほど純粋で、熊や蟹を相手に一生懸命特訓する。そこへ実力者・秋山準が正論のツッコミを入れ、今日も地球の平和は守られている。この三者の派閥がピラミッドの上位を占める社会で革命を起こす事は容易ではない。しかし今秋、フリー参戦の斎藤彰俊が異例の”農民一揆”を起こした。
まずは無所属の中堅選手を束ね、名称「ダーク・エージェント(闇の代理人)」なるユニットを結成した。無口、鋭い眼光、私服の腰にはチェーンという事でてっきり硬派だと思っていたが、彼はGHCタッグ王座挑戦の会見で結成記念として「ダーク引越しセンター」「ダーク神社」設立を発表。ダークなのにお守り発売を提案したほか、「まだ集めている人のために」三角ペナントも予定した。小橋が持つGHC(グローバル・オナード・クラウン)挑戦時には、新GHC(グレート・ハッピー・クリスマス)王座を勝手に新設。中継テレビ局が日本テレビだが、これは笑点ではない。挙句の果てには「ダーク引越しセンター」のユニホームを勝手に揃え、小橋を梱包して人間宅急便に。ノアでは禁じ手のネタ全開で走り出した。
プロデビュー前は、水泳でその名を知られていた。学生時代はインターハイ、全日本学生選手権優勝など平泳ぎの名手で、ナショナルチームにも選ばれた。しかし、既に現在の片鱗はあった。体重73キロで胸囲110センチを誇り、当時は軽視されていたウエート・トレーニングをエッサホイサ。「水泳は力だ。目指すはロード・ウォリアーズ」とか何とか言って、全身に血管を浮き立たせていた。目指すべきはメダルだろう。体作りだけではない。あの鈴木大地を引き込んで「水泳維新軍」なるユニットを結成。活動内容は不明だが、個人競技にユニットは必要ないだろう。中京大の体育授業でも既にダークだった。ラグビーでは本職でもないのに相手を吹っ飛ばし、サッカーならボールを蹴るふりをしてローキックをかましていた。大会の選手点呼では各地から集結した選手が居並ぶ中、気合一発、イスを破壊。ライバルを睨みつけた。既に水泳選手ではない。
99年、医者から余命5年と宣告された事がある。病院の血液検査で数値が悪く、リンパ節が異常に硬く腫れていると告げられた。悩みに悩んだ。平成維震軍として活躍した新日本プロレスを「サラリーマン的なレスラーでいても良いのだろうか」と自主退団した直後だっただけに、数ヶ月間も落ち込んだ。意を決して別の病院で再検査したら異常なし。原因を追究したところ、(1)最初の病院で医者と看護婦が痴話喧嘩をしていたため、検査に不手際があった(2)硬いリンパ節の正体は硬い物を食べ続けたアゴの発達、であると判明。しかし、脱力で終わらないのが斎藤彰俊だった。
「死ぬ時に後悔したくない。人が最後に会うのは死神。会うときに満足した人生を送るために、いつどうなっても良いように」。復活を期して産廃業者のトラックに乗り、名古屋でバー「ココナツ リゾート」を開店。苦境に飛び込む度に克服してきた彼は、01年のノア参戦を経て「死神」と名乗るようになった。
シングル、タッグ王座挑戦はいずれも敗れたが、ダーク・エージェントの快進撃は止まらないだろう。高校時代に仲間と「新撰組」という怪しげなユニットを結成し、リーダーを務めていた実績もある。活動内容は「街の警備」と主張するが、警備される方だった可能性は否めない。メンバーにはデスマッチの帝王・松永光弘がおり、当時からミスター・デンジャーだったという。
「ネタが多い」との批判もあるが、人生自体がネタ満載だから仕方がない。「自分は今でも硬派ですよ。でも、次から次とアイディアが沸く自分が憎い」。人生が反映されるプロレスのリングで、斎藤は異彩を放ち続ける。