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スマホNGの寮生活も「俺は明徳義塾に行く」最愛のひとり息子が“15歳で越境入学”…母の本音「強がりとかではなくて」「入寮後、1本の電話」 

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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photograph by母・真奈美さん提供

posted2024/04/27 11:03

スマホNGの寮生活も「俺は明徳義塾に行く」最愛のひとり息子が“15歳で越境入学”…母の本音「強がりとかではなくて」「入寮後、1本の電話」<Number Web> photograph by 母・真奈美さん提供

小学校時代の竹下徠空。現在は明徳義塾の3年生

「近所に、徠空が幼いころからずっと素振りを見てもらって、『師匠』と慕う方がいたんです。その方から『明徳に行けるように頑張れよ!』と言われていたそうで。私もそういうところに行けるぐらい頑張ってほしいな、とは思っていたんですが、進路希望調査票を見たときはびっくりしましたね。本気なんだって」

現地見学へ「本当に学校、あるんかな?」

 徠空は地元で有名選手だった。中学軟式野球の中国大会で、両翼99.5メートルを誇る倉敷マスカットスタジアムのレフトスタンドに本塁打。「硬式球よりも飛ばない」とされる軟式球での特大弾が、中学生離れした長打力を示していた。つづく全国中学校体育大会では、島根県勢初の全国制覇を達成。「大田市立第二中の竹下」の名は、島根県内の高校野球関係者にとどろいた。だが、県内の甲子園常連校からはいくつもの誘いを受けたものの、夢の明徳義塾からは声がかからなかった。

 諦めきれなかった徠空は学校に連絡し、練習見学の約束を取り付けた。中学3年の9月。真奈美さんとともに、明徳義塾野球部のグラウンドである「明徳野球道場」に向かった。真奈美さんが思い返す。

「カーナビを見ながら進んでいくと、細い道を下っていくので、すごいところだなあと。徠空は、行きの車では『本当に学校、あるんかな?』とか言ってたんですけど、帰りはもう『絶対に俺は明徳に行くんだ!』と張り切ってました。実際に馬淵監督を見て、気持ちが高まったんでしょうね」

 高校野球では、中学生をグラウンドに集めてプレーを見る“セレクション”の実施が禁じられている。徠空が自慢の打撃を見せることは叶わなかったが、見学時の熱意が伝わり、馬淵監督も中学野球に明るい知人伝いにプレー映像を確認。名将を唸らせ、一般入試での受験を経て、憧れの明徳義塾行きを取り付けた。

ひとり息子の母「寮生活を経験してほしい」

 徠空は一人っ子である。真奈美さんにとって唯一の子どもである愛息と離れることに抵抗はなかったのか。

【次ページ】 入寮直後に「1本の電話」

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