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「あの空気や雰囲気はオシムさんしか…」「ジュニーニョはお世辞にも模範的ではないけど」“魅力的な人物”と出会った中村憲剛のリスペクト

posted2024/03/24 11:03

 
「あの空気や雰囲気はオシムさんしか…」「ジュニーニョはお世辞にも模範的ではないけど」“魅力的な人物”と出会った中村憲剛のリスペクト<Number Web> photograph by JFA/AFLO

日本代表時代の中村憲剛とイビチャ・オシム監督

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中村憲剛

中村憲剛Kengo Nakamura

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 Jリーグ川崎フロンターレの英雄だった選手時代から、サッカーの技術だけでなく、考える力や言語化能力、コミュニケーションやリーダーシップといったさまざまな能力を発揮してきた中村憲剛。そんな彼が自身の経験、そして出会った仲間たちとの触れ合いなどを通して、人生のテーマについてとことん考えた『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』(小学館クリエイティブ)から未公開分を含めて一部転載します。<全3回の第3回/第1回第2回も配信中>
『中村憲剛の「こころ」の話』(小学館クリエイティブ)※書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします中村憲剛の「こころ」の話』(小学館クリエイティブ) ※書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

自分にないものを持っている人は魅力的に映る

 プロになって最初に強烈な印象を受けたのがジュニーニョだった。

 ブラジル人FWのジュニーニョは年齢こそだいぶ上だったが、2003年に川崎フロンターレに加入した、いわば同期の間柄で、2011年までともにプレーした。2007年にJ1リーグで得点王にも輝いた彼には、パスの出し手として数多くのゴールをアシストさせてもらった。

 ジュニーニョの何が強烈だったかというと、彼にしかできないことがたくさんあることだった。それはサッカーにおいて、試合に勝利するために不可欠なゴールだった。彼は川崎フロンターレでリーグ戦通算110得点をマークしていて、次から次へとゴールを決める姿を見て、「これが本当のプロだ」と、何度、思ったことだろうか。

 というのも、ジュニーニョはピッチで力を発揮する姿と日常が、かなり掛け離れている男だったのだ。

 お世辞にも、ジュニーニョは模範的なプロサッカー選手とは言えなかった。たびたび練習に遅刻することもあったし、「ここが痛い」「あそこが痛い」と言って、全体練習を休むこともよくあった。全体練習に参加したからといって全力で取り組んでいたかというと、決してそうでもなく、いつも余力を残すというか、むしろ僕には手を抜いているようにすら映っていた。

 だが、それが本番である試合になると、まるで別人のように結果を出す。チャンスが1回しかなければ、その1回を必ず仕留めてくれたし、ここが勝負どころだと感じると、全速力でゴールに向かい、そして鮮やかにゴールを奪ったり、回数こそ多くなかったが、自陣深くまで戻って守備もしていた。

 自分が持てる力の“最大出力”をどこで使うのか。自分自身で自分の力と、力の出しどころをとても理解している人だった。

ベテランのアウグスト35歳からも刺激を受けた

 また、僕が川崎フロンターレに加入した2003年に鹿島アントラーズから移籍し、3年間をともに過ごしたアウグストも強烈なインパクトを与えてくれた選手だった。

【次ページ】 オシムさんのミーティングはいつも独特の緊張感だった

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