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箱根駅伝優勝→実業団1年半で引退…東海大の優勝アンカーが明かす“箱根後の苦悩”「過去の自分と比較されるのは本当につらかった」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byWataru Sato

posted2024/01/21 06:01

箱根駅伝優勝→実業団1年半で引退…東海大の優勝アンカーが明かす“箱根後の苦悩”「過去の自分と比較されるのは本当につらかった」<Number Web> photograph by Wataru Sato

2019年、東海大の箱根駅伝初優勝のゴールテープを切った郡司陽大。現在は競技から身を退いた本人が明かす引退の決断まで――。

「人生100年時代とか言われている中、僕は25歳で残り75年もこの苦しみに耐えないといけないのかなと思うと無理だなって思いました。今、ここで終わらせた方がラクかな。どうやって死のうかな。そんなことばかり考えていました」

 心療内科の先生には、「あなたは普通じゃないから定期的に来て、話をしなさい」と言われたが、行っても何も変わらなかった。悩める郡司に、さらに追い打ちをかけたのが新型コロナウイルスの感染だった。寮で隔離生活を強いられ、ひとりになった時、「何のために頑張ってんのかな。もう立ち直れないな」と思った。もう限界だった。

自分が苦しいなら無理する必要はない

 コロナから回復すると東海大時代にお世話になった先生に会いに行った。

「青木孝子先生(東海大学スチューデントアチーブメントセンターの講師)は、大学1年の頃から僕の成長を見ていてくれて、2年の時には『大丈夫。箱根を走れるような選手になるから』って励ましてくれた大学のお母さんみたいな存在です。もう会社をやめようと思い、先生に話したら、『自分が苦しいなら無理していく必要はない』と言ってくださって。それからすぐ退職届を出しました。一刻も早く会社から逃げたかったので」

卒業から1年半後に引退。そして…

 両角監督には事後報告をした。2年も経たずに退社したら、東海大から選手を取ってもらえなくなるかもしれない。そう思うと、後輩たちに申し訳なく感じた。

 2021年10月15日、輝きを放った東海大での日々からわずか1年半、郡司はあまりにも早く現役生活を退くことになったのである。

<つづく>

#3に続く
「箱根駅伝を優勝しない方が幸せだった」郡司陽大26歳が苦しんだ「箱根駅伝の魔力」 自傷行為、引きこもり生活…救いとなったのは「加藤純一」だった

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