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「救急車!救急車!」元アイドルレスラー府川唯未が急性硬膜下血腫で倒れた日の真実…涙で語る、亡くなった門恵美子さん(享年23)への思い

posted2023/11/23 11:01

 
「救急車!救急車!」元アイドルレスラー府川唯未が急性硬膜下血腫で倒れた日の真実…涙で語る、亡くなった門恵美子さん(享年23)への思い<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

元人気女子プロレスラーの府川唯未。引退の原因となった2000年の大ケガについて振り返った

text by

伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

“アイドルレスラー”としてリング、そして芸能界で活躍した女子プロレスラー・府川唯未。2000年7月、リングで試合中の府川を病が襲った。病名は、急性硬膜下血腫およびくも膜下出血。23年後の今明かされる、“あの日の真実”とは――。《NumberWebインタビュー第2回/全3回》

 1997年に全女を退団した府川は、翌98年に旗揚げされた新団体・アルシオンで生まれ変わった。美しさに強さも兼ね備えたアルシオンが掲げた御旗に、全日本女子プロレス興業、LLPW(現・LLPW-Ⅹ)、JWP(現・PURE-J)の中堅選手たちが賛同、移籍した。「府川唯未」に改名した府川は、パンクラスと格闘探偵団バトラーツに出稽古。さらに空き時間には、格闘家の田村潔司(現・GLEATのエグゼクティブディレクター)に師事して関節技に磨きをかけ、サンボを習得するために大学の道場にも通った。

「強さを求められる環境が整っていた」。そんな矢先、頭痛に襲われた。2000年夏の出来事だった。

◆◆◆

府川 2000年の6月に、北海道のツアーがあったんですね。そのあたりから、受け身を取るのもきついほど、体調不良になったんです。頭痛が治らない。私、あまり薬を飲まない人なんですけど、7月に入って「バファリン」(頭痛薬)を飲んで、それも効かない。徐々に、ずっと(こめかみあたりを)押さえてないと耐えられないぐらい痛くなっていって、常に「いったーい……」という状態。のちに先生から、「もうそのころに出血してたんだろうね」って言われましたけど。

「救急車!救急車!」試合後に途切れた記憶

――全女の慣習が肌に沁みこんでいるから、耐えることに慣れてしまっていたんでしょうね。

府川 そうですね。「大丈夫か?」と聞かれれば「大丈夫です!」って答えるし、「できるか?」と言われたら「できます!」と言ってしまう。選手って、そういうものなんです。私ももっと早く会社に言えばよかったんですけど、「すいません。実は……」ってようやく打ち明けたのが、ケガをする後楽園大会(00年7月16日)の前日。「じゃあ、明日の試合が終わったら病院に行こう」っていうことになったんですけど、結果的にはその試合で……ですね。

――その6人タッグマッチは、どの程度の記憶があるんですか。

府川 試合中に動いているところは覚えてます。試合が終わって、新人の(前田)美幸におんぶしてもらって、控室に戻ったあたりから、記憶がブチッて切れてる。控室でアジャ(コング)さんが手を握ってくださってて、それはぼんやりと。そのあと、遠くのほうから「救急車! 救急車!」という声が聞こえてきて、そこでまた記憶がなくなってる。担架に乗せられて、ちょっとした段差で「ガタンッ!」となったとき、痛さのあまり一瞬目が覚めたっていうのはありました。横にいた人に、「手術ですか?」って聞いたんです。

――えっ、府川さんが?

府川 そうです。「まだわかりません」って返されて、そっからまた忘れちゃってる。自分なりに、「マズい!」って思ったんでしょうね。次に目が覚めたのは、ベッドの上。ICU(集中治療室)ですね。足が動かなくて、下半身に力が入らなかったんですよ。もう自分のものじゃないような。脳からの指令が行かないんですね。それもね、冷静にわかっているわけじゃない。常に、ものすっごい痛みが頭にあったから。

【次ページ】 泣き崩れた父、コスチュームで駆けつけた仲間

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