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「俺、このまま終わるんやろうな」西田有志が激白! 妻・古賀紗理那の救い…謎の症状に苦しんだ“左のエース”はいかにして復活したのか 

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/10/02 11:04

「俺、このまま終わるんやろうな」西田有志が激白! 妻・古賀紗理那の救い…謎の症状に苦しんだ“左のエース”はいかにして復活したのか<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

W杯でパリ五輪出場権をかけて戦う日本代表の左のエース・西田有志(22歳)。大会前、原因不明の体調不良からW杯にいたるまでを率直に明かした

 元々、叩き上げで這い上がってきた身。三重・海星高時代には春高バレーに一度も出場していない。バレーの世界では小柄な186cmながら反骨心をむき出しにして日本の左のエースと呼ばれるまでになった。目いっぱい全力疾走してきた分、体がブレーキを掛けたと思えなくもない。

「高校を卒業していろんな経験を積ませていただいた。でもついていくのに必死でした。慣れるとかじゃなく、ちゃんと対応していこうとするなかで、そのレベルに見合うだけの選手になっていかなきゃいけないと、迫られた部分はあったかなと思います」

 約1カ月間、リーグ戦を欠場してみても、快方にはほど遠かった。じっとしても良くならないなら、バレーがしたい。主治医に頼み込み、何とか了解を取りつけた。

 復帰してもコンディションは平行線のままだった。夜は大量の寝汗をかき、血液検査でも正常の数値には戻らなかった。

いずれ状態は戻るという信念に基づいて

 バレーが必ず解決してくれる。西田はそう信じた。「20%くらい」のコンディションながら12月の天皇杯優勝にも貢献できた。

 体調不良に発した不調が長引くにつれ、心身ともにギリギリの状態は続いた。それでも脱線することはなかった。食事にしても毎日おかゆばかり食べ、おかずの味つけを薄くした。掃除や整理整頓など身のまわりをキレイにすることを日々欠かさなかった。調子が悪いときにも生活習慣さえしっかりしておけば、いずれ状態は戻るという自分の信念に基づいて行動した。

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