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「あんなに弱かったのに…」浦和レッズは最下位続きでもなぜ愛されたのか? 黎明期を知る女性職員・村瀬佳代さんが見つめた“Jリーグ30年史” 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byMiki Fukano

posted2023/10/10 18:01

「あんなに弱かったのに…」浦和レッズは最下位続きでもなぜ愛されたのか? 黎明期を知る女性職員・村瀬佳代さんが見つめた“Jリーグ30年史”<Number Web> photograph by Miki Fukano

かつて“Jリーグのお荷物”と揶揄された浦和レッズ。Jリーグ開幕前からクラブで働く村瀬佳代さんは、どんな思いで仕事に励んできたのか

最下位続きでもレッズが愛された理由

――サッカー熱はあるのに、試合には勝てない。1993年、1994年ともに年間順位で最下位。それでも、当時1万人収容だった駒場がほとんどの試合で満員に。国立競技場で開催すれば5万人の観客が詰めかけた。

「本当にありがたいことです。でもこれは、森(孝慈)監督の人柄も大きかったんじゃないかと思うんです。普通、ボロ負けした試合のあとに、サポーターが集まっているお店に足を運ぶ監督なんていないじゃないですか(笑)。でも、森監督は『こういうときこそ行くんだ』と。私も何度かご一緒したんですけど、サポーターの方が『レッズは本当にダメだよなぁ』と言って飲んでいるところへ、森さんは『ワシも話に入れてくれ』と入っていくんですよ。当然、サポーターも驚きますよね。でもだんだん『僕は監督じゃないけれど、こういう現状があるから、こうすればもっと勝てるようになると思う』と一生懸命話してくれるわけです。そんな話を森さんはすごく丁寧に聞いている。そして最後には『次は勝つぞ!』って、サポーターとひとつになってしまう。私の記憶では、森さんはサポーターからブーイングを受けることもなかったし、バスが囲まれることもなかった。あんなに弱かったのに……」

――森さんが浦和レッズの文化を形作ったんですね。

「本当にすごい方でした。元日本代表で代表監督も務められたレジェンドなのに、相手の懐へ入っていくのがすごく上手で、きちんと目線を合わせてくれるんです。私たちスタッフに対してもそうでした。『サポーターが怒っているなら、話を聞いてみないと理解できないだろう』と。レッズを愛してくれる浦和の街の人たちの“本音”の部分も、話を聞いてみないとわからない。とにかくいろんな人の話を聞こう、というスタンスだったと思います」

――その森さんがGMに復帰した2002年、ハンス・オフト監督が就任し、若い選手の成長もあって2003年のナビスコカップで優勝を果たしました。さらに監督がギド・ブッフバルトに代わった2004年はJ1のセカンドステージで優勝。そして2005年に天皇杯を獲り、2006年にはついにリーグ制覇を成し遂げました。

「自分がクラブに在籍している間に優勝することはないだろう、と思っていたんですよ。そんなに長く務めることはないと考えていたので。でも、最初に『マネージャーを3年務めてほしい』と言われて、いつの間にかその3年はとうに過ぎていた。そうすると『1回優勝したら考えよう。それまでは頑張ろう』というふうに変わっていって……。でも、ナビスコカップを獲ったら、今度は『天皇杯が獲れたら考えよう。天皇杯が獲れたら、リーグ制覇も……』と欲が出てきました(笑)。そうこうしているうちに、ACLも始まりましたから」

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