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「宮里藍に次ぐ史上2番目の若さで」18歳で脚光を浴びた“元日本代表の逸材”が医師から“引退勧告”…30歳ゴルファー再起のウラ側

posted2023/08/22 11:00

 
「宮里藍に次ぐ史上2番目の若さで」18歳で脚光を浴びた“元日本代表の逸材”が医師から“引退勧告”…30歳ゴルファー再起のウラ側<Number Web> photograph by Shizuka Minami

2019年カナディアンパシフィック女子オープン初日、プレー中に何度も座り込んだ野村敏京。医師に引退勧告を受けるほどの腰を怪我に悩まされてきた

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南しずか

南しずかShizuka Minami

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Shizuka Minami

 18歳でプロ初優勝――12年前、彗星の如くゴルフ界に現れた野村敏京。日本代表として出場したリオ五輪ではメダルまであと一歩に迫るなど、世界のトップで活躍を続けてきた野村だが、近年は腰の怪我に悩まされるシーズンが続いた。一時は「引退」も考えたと明かすここまでの道のりに一体、何があったのか。アメリカで取材を続けるカメラマン・南しずか氏が30歳となった野村の今に追った。

「チャンスを掴むのは一瞬だけど、そのチャンスを作るまで頑張ってきた。今の気持ちをそのまま持って、今年はいい成績を出したい。やっぱり今年は優勝したいですね」

 今年の6月、ニュージャージー州で行われた米女子ツアー『ショップライトLPGAクラシック』で6位タイに入った野村敏京(のむら・はるきょう/30歳)は笑顔で、力強く、試合を振り返った。

「今年は優勝したい」。前向きな言葉に、心が揺さぶられた。

宮里藍に次ぐ史上2番目の年少V

 野村はここ数年、ゴルファーにとっては致命的にもなり得る腰の怪我に悩まされてきた。米女子ツアー通算3勝の実力者だが、2017年4月以来優勝からは遠ざかっている。トップ10入り自体も実に4年ぶりの出来事だった。

 日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、日本で幼少期を過ごした野村は、その後に育った韓国で10歳の頃にゴルフを始めた。当時ゴルフ界を席巻していたタイガー・ウッズに魅了され、本格的に競技を開始。「どうやったらタイガーのように上手くなれるんだろう?」と、スイングを録画したビデオを何度も見返しては、ひたすら試行錯誤して技を習得していった。

 ゴルフアカデミーに通うことなく、一人で練習に励む日々。自主的に自分のゴルフを探求したことは、その才能を早々に開花させる。

 17歳になる直前に出場した2009年の『日本女子オープン』でローアマチュアに輝くと、韓国の高校を卒業してすぐに米ツアーの予選会に挑戦。出場権を獲得し、18歳でプロに転向した。2010年末には日本国籍を選択し、翌2011年4月には下部ツアーながらアメリカでプロ優勝を経験。日本国内でも同年5月「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」で初日から首位を守りきりツアー初優勝を飾った。

 当時、この優勝は18歳178日と宮里藍(18歳101日)に次いで2番目の年少記録だったことも話題となり、“次世代スター”の一人として脚光を浴びた。

 その後、国内ツアーのシード権を手放し、2014年から本格的に米ツアーに参戦。武器である正確なショットやパッティングを武器に躍進すると、2017年までにツアー通算3勝。さらに2016年には日本代表としてリオ五輪にも出場し、メダルまであと一打に迫る4位に入賞を果たした。世界ランキングも、2016年頃から1年以上にわたって日本勢最高位を維持するなど、順風満帆の時間を過ごしていた。

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