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「ドゥンガは口うるさいから敬遠してたんだ(笑)」ブラジル名SBジョルジーニョの夢は「日本代表監督としてW杯優勝」とアツく語る理由 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byMasashi Hara/Getty Images

posted2023/08/13 11:02

「ドゥンガは口うるさいから敬遠してたんだ(笑)」ブラジル名SBジョルジーニョの夢は「日本代表監督としてW杯優勝」とアツく語る理由<Number Web> photograph by Masashi Hara/Getty Images

鹿島アントラーズ監督時代のジョルジーニョ

「堅守でありながら、勝負所では確実にゴールを決め切る、攻守にバランスが取れたチームを作り上げた。W杯へ向けて最高の準備ができた、と考えていた」

――10年W杯南アフリカ大会では、グループステージを2勝1分の首位で突破。ラウンド16でチリに3-0と快勝しましたが、準々決勝でオランダに痛恨の逆転負けを喫してしまいます。

「オランダ戦は前半早々(10分)、MFフェリペ・メロの素晴らしいスルーパスをFWロビーニョが蹴り込んで、最高の滑り足だった。その後も落ち着いてプレーし、MFカカらが決定機を作っていた。しかし後半、立て続けに守備のミスが出た。

 最初の失点では、ブラジルのゴール前へクロスが入り、GKジュリオ・セザールが『任せろ』と叫んだが、ブブゼラ(この大会で盛んに吹き鳴らされたスタジアム・ホーン)の音で周囲の選手に聞こえず、メロの頭にわずかに触れてゴールへ飛び込んだ。不運もあったが、大舞台では小さなミスが命取りとなることを思い知らされた」

「鹿島監督時代の忘れられない出来事」とは

――その翌年、フィゲイレンセ(ブラジル南部の中堅クラブ)の監督に就任すると、ブラジル1部で7位と大健闘。年間最優秀監督の選考で2位に選ばれます」

「1部残留が目標だったクラブに、上位躍進と翌年のコパ・スダメリカーナ(南米で二番目に重要なカップ戦)出場権をもたらした。クラブにとっては望外の結果で、私との契約延長を強く望んでいた。しかし、アントラーズからオファーを受けたので、迷わず日本行きを選んだ」

――12年、古巣・鹿島の監督に就任します。当時の鹿島は、前任のオズワルド・デ・オリベイラ監督が07年から09年までJリーグ3連覇を成し遂げ、毎年、優勝を目指すクラブとなっていました。ところが、いきなり3連敗。最初の5試合を1分4敗と大きくつまずきます。

「プレシーズンキャンプで良い準備ができたと思っていたのだが……。Jリーグに戻ってきたのは14年ぶりで、私が他チームの戦い方の変化を良く理解できていなかったのかもしれない。

 生涯忘れられない出来事がある。

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