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「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」 

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寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

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photograph byYuji Kondo

posted2023/06/30 17:01

「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」<Number Web> photograph by Yuji Kondo

立命館大のフリーセーフティとして活躍していた近藤祐司さん。同じく帰国子女で同期生の河口正史とともに戦った大学時代を振り返った

「日々業務に励んでいても、どこか入り込めない。それで立命館のコーチと、社会人でのプレーを並行しながら、NFLヨーロッパに挑戦することを決めたんです。先に海外でチャレンジしていたマーサの影響もありましたし、大学4年の時に『平成ボウル』というNCAA(全米大学体育協会)と日本の大学を代表する選手が混合チームを組んで戦う試合のメンバーに選ばれて、実際に向こうの選手たちとやった時に、『俺いけるかも』という感覚があったんです。それで96年の暮れに1次テストをクリアして、向こうのコーチからも、社会人になって落ちた体力さえ元に戻せば大丈夫、と言われていました。でも、さあ次は最終テスト、というところで膝を怪我してしまって……。人生を決めるような大事なタイミングで大きな怪我をしたことで、自分の限界が見えてしまった。真剣勝負の世界に、『たられば』はありません。健康なら、という考えは通用しない。そういう星の下には生まれていない、ということなんです。それで『選手として食べていくのは無理なんだな』と悟りました」

きっかけは筋トレ時のラジオFM802

 しかし、フィールドに別れを告げた近藤さんは、ポジティブだった。すぐさま第二の人生へのスタートを切ったのである。

 きっかけは大学時代に打ち込んだ筋トレにあった。

「筋トレする時、気持ちを上げる音楽をかけるじゃないですか。大学の頃、僕にとってはラジオのFM802がそれだったんです。いい曲が流れるとモチベーションがガンガン上がるんですよ。自分が英語を話せることもあって、ふと『ラジオのDJ、なかなかいいな』と思いついた。それで、早速アナウンス学校に通い始めたら、すぐに大阪のコミュニティラジオでレギュラーが決まって、あっという間にDJをやることになったんです。GAORAで放送していたNFLの解説も同じくらいのタイミングではじめました」

 フィールドから離れるやいなや、猛スピードでメディアの人となると、99年には東京へ拠点をうつす。そして2000年、とうとう「実況・近藤祐司」が誕生する。

<続く>

#3に続く
大谷翔平も「“ゴーンヌ”聞きました」近藤祐司が明かすゴーンヌ実況秘話「初めて使ったのはレアードのホームラン」「彼の言葉がなければ、やめていたかも」

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