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“お祈り名MF”ビスマルク53歳、少しぽっちゃりしたけど…「イハラもカズも覚えてるよ」驚きエピソードを告白〈現地インタビュー〉 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2023/07/02 11:00

“お祈り名MF”ビスマルク53歳、少しぽっちゃりしたけど…「イハラもカズも覚えてるよ」驚きエピソードを告白〈現地インタビュー〉<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

ヴェルディ川崎で輝いた頃のビスマルク。今、何してる?

「すごい選手が沢山いて、レギュラー争いがとても激しかった。最初の年はずっと控えで、11月、ブラジルリーグのサントス戦の後半途中に初めてピッチに立った。

 試合は0-0のまま終盤を迎え、右からのクロスがゴール前に入り、僕がフリーでシュート。決めていたらチームが勝っていたはずなんだけど、力んでシュートを失敗してしまった。

 頭を抱え、『ああ、これで僕のキャリアは終わったな』と思った。試合はそのまま引き分け。案の定、その後はベンチにも入れない試合が続いた」

セレソン選出に両親も涙を流して…

――それは苦しかったでしょうね。

「その試合から1カ月ほどたってから、練習試合で後半途中から出場。『これがラストチャンスだ』と必死にプレーして、ハットトリックを達成。これで監督の信頼を獲得して、1988年からレギュラーになった。当時、18歳だった」

――1989年の2月から3月にかけてサウジアラビアで開催されたU-20ワールドカップ(W杯)に出場し、ブラジルは3位でしたが、あなたは大会MVPに選ばれます。

「初の国際大会だったけれど、すでにトップチームで試合に出て活躍していたから、落ち着いてプレーできた。貴重な経験となり、大きな自信を手にした」

――そして、この大会の直後、19歳にして初のセレソン入り。強化試合に出場した後、7月にリオで開催されたコパ・アメリカ(南米選手権)の出場登録メンバーに選ばれます。

「子供の頃から夢見ていたセレソンに招集されて、夢のようだった。父も母も、涙を流して喜んでくれた。残念ながら、コパ・アメリカではピッチには立てなかったけれど、マラカナン・スタジアムで10万人を超える大観衆から凄まじい声援を受けたセレソンがマラドーナ率いるアルゼンチン、(エンゾ)フランチェスコリ(注:華麗なテクニックで攻撃を組み立てるMFで、ジネディーヌ・ジダンが少年時代に憧れた名手)がいたウルグアイを下して優勝するのを目の当たりにして、全身に鳥肌が立った」

実は“初のブラジルvs日本”で決勝点を決めた

――コパ・アメリカが閉幕して1週間後の7月23日、南米遠征中だった日本代表とリオで対戦し、後半途中から出場。右からのクロスを頭で叩き込み、ブラジルに勝利をもたらします。

【次ページ】 もちろんブラジル時代のカズも覚えているよ

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