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藤波辰爾68歳は“アントニオ猪木の入場曲”にどんな思いを込めたのか? 棚橋弘至との師弟対決が「幸福な11分44秒」になったワケ

posted2022/12/10 17:00

 
藤波辰爾68歳は“アントニオ猪木の入場曲”にどんな思いを込めたのか? 棚橋弘至との師弟対決が「幸福な11分44秒」になったワケ<Number Web> photograph by Masashi Hara

12月1日、68歳の藤波辰爾は50周年記念ツアーのファイナルで棚橋弘至と対戦。12分弱の濃密な師弟対決にファンは酔いしれた

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原壮史

原壮史Masashi Hara

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 場内が暗転し、『マッチョ・ドラゴン』、『RISING』、『超飛龍』……藤波辰爾の歴代の入場曲がメドレーで流れてきた。しかし、『ドラゴン・スープレックス』が流れても、入場ゲートには誰も現れない。

 あれ? という空気になりかけた場内は、次の瞬間どよめいた。12月1日、代々木第二体育館に響き渡ったのは、アントニオ猪木のテーマ『炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~』だった。

 入場曲がそれから切り替わることはなく、スポットライトが赤いガウンを纏った藤波の姿を照らした。先に入場した棚橋弘至は、コーナーで目を閉じ、静かにその時を待っていた。

「やっぱり猪木さんは永遠ですよ」

「やっぱり猪木さんは永遠ですよ。我々のね。鏡っていうのかね」

 自身の50周年を、永遠の師匠の入場曲と「ダーッ!」で締めくくった藤波は「僕が猪木さんを“独り占め”したのとまったく同じ心境かどうかはわかりませんけど……。まあ、何か伝えられればいいかなと思った」と試合を振り返った。

 68歳の師匠・藤波と、46歳の弟子・棚橋による20年ぶりの一騎打ちは、そのカードが決まった時から、34年前の藤波vs.猪木とどこか重なって見えた。

 1988年8月8日、月曜日の横浜文化体育館で行われたIWGPヘビー級選手権は、猪木の引退試合になるのではないか、と囁かれていた。

 猪木は1987年の第5回IWGP王座決定リーグ戦で同大会4連覇を達成し、このタイミングでタイトル化された初代IWGPヘビー級王者となった。しかし、45歳になった猪木はトレーニング中の負傷で同王座を返上。新日本プロレスの人気そのものの低迷もあり、猪木はもう“最強”ではないのではないか、という見られ方も増えていた。

 そんな中で迎えた一戦は、テレビ朝日が生中継の特番を組み、「最後の試合は自分が実況する」と猪木と約束していた古舘伊知郎が一夜限りの実況復帰。弟子であり、IWGP王座に君臨してヘビー級としての全盛期を迎えている34歳の藤波に挑戦するこの試合に負ければ、猪木は引退するのではないか。そういう試合だった。

【次ページ】 棚橋弘至の分岐点になった藤波辰爾との師弟関係

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