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《トモダチナラ、アタリマエ~》J伝説の外国人アルシンド54歳は今どうなった?「350ヘクタールあるぞ(笑)」「苦労させられたDFは…」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2022/09/07 17:01

《トモダチナラ、アタリマエ~》J伝説の外国人アルシンド54歳は今どうなった?「350ヘクタールあるぞ(笑)」「苦労させられたDFは…」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

鹿島時代のアルシンド。54歳になった今、どうしている?

「地元のアマチュアチームでフットサルを始め、小学校のチームでプレーしていた。11歳でカスカヴェルというクラブの下部組織に入り、17歳でリオの名門フラメンゴのアカデミーに加わって、1986年、18歳でトップチームへ昇格した」

初めてジーコに会ったときは体が震えたよ

——子供の頃に好きだったクラブと憧れの選手は?

「父は南部の名門グレミオの大ファンで、アルシンドという名前は1940年代にグレミオで活躍したストライカーの名前を取ったんだ。でも、僕自身はフラメンゴが好きで、憧れの選手はジーコ。

 フラメンゴに入り、初めてジーコに会ったときは体が震えたよ。その後、トップチームに昇格して彼と一緒にプレーし、鹿島でもチームメイトになれた。僕は本当に幸せ者だ」

——1987年、フラメンゴにレナート・ガウーショ(グレミオ在籍中の1983年にトヨタカップで優勝してMVP)という当時ブラジル最高の右ウイングが移籍してきて、競争を強いられた。

「フラメンゴは名門中の名門だから、すごい選手が入ってくるのは当然だ。でも、僕は4年余りの間に200以上の試合に出場して30以上のゴールを決めた。子供の頃からの憧れのクラブでこれだけプレーできたことは、大きな誇りだ」

——その後、サンパウロ、グレミオを経て1993年初め、その2年前に鹿島へ入団していたジーコから誘いを受け、鹿島アントラーズへ移籍します。

「僕にとって神様のような存在のジーコから声をかけられて、断われるはずがないだろ(笑)」

——この年の1月、リオで長男イゴールが生まれました。

「僕は3月に始まるプレシーズン合宿に参加する必要があったから、しばらくは単身赴任。数カ月後、妻とイゴールが日本へやってきた」

——日本へ渡る前、日本、Jリーグ、鹿島について予備知識はあったのですか?

「ほとんど知らなかったけど、日本へ行くことになってからジーコ、サントス(当時鹿島に在籍していたブラジル人MF)らから色々と教えてもらった」

あのハットトリックで世界が一変したよ(笑)。

——当時のJリーグを取り巻く雰囲気は凄まじかった。

「鹿島にジーコ、名古屋グランパスにリネカー(元イングランド代表ストライカー)、ジェフ市原にリトバルスキー(元ドイツ代表のアタッカー)、横浜マリノスにラモン・ディアス(元アルゼンチン代表CF)らスーパースターがいて、スタジアムはいつも満員。大変な盛り上がりで、僕もアドレナリンが出まくっていた」

——特に印象に残る試合はありますか?

【次ページ】 最も苦労させられたのはイハラだね

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