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「無謀な根性論→ホメて伸ばす」に変わった口論… “鹿実の名将・松澤先生”の家族が語る思い出「遠藤(保仁)くんや松井(大輔)くんの親は」 

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粕川哲男

粕川哲男Tetsuo Kasukawa

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2022/08/11 11:01

「無謀な根性論→ホメて伸ばす」に変わった口論… “鹿実の名将・松澤先生”の家族が語る思い出「遠藤(保仁)くんや松井(大輔)くんの親は」<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

鹿児島実業時代の松井大輔。その後に日本代表となった彼らが“松澤先生”とともに送った青春時代とは?

鹿実を離れた途端に弱い部分が出ちゃって、一気に病気が

 2度目の選手権制覇を実現した鹿実は、しかしその後、松澤先生の体調が悪くなるのに合わせるかのように、結果を残せなくなっていく。選手権では2007年度、23回目の出場を最後に全国の舞台に立てていない。

 鹿児島城西と神村学園が全国でもトップレベルの実力を示すようになるなか、鹿実は2008年度以降、県ベスト4の壁を乗り越えていない。その現実は2011年に勇退を決断した松澤先生の存在が、いかに大きかったかを物語っている。

 それでも和子夫人と尚明さんは、松澤先生の教えは脈々と受け継がれており、鹿実にはいまなお切れることのない強い絆があると口を揃える。

「夏の合宿のときは私も子供たちと一緒に泊まって、朝の5時からご飯作りをしました。親も10人くらい呼んで、今日の朝はこれ、昼はこれと私が指導して。それで、子供たちの練習中はおしゃべり。だから、私は全部わかるんです。遠藤(保仁)くんの親はあんな人、松井(大輔)くんの親はこんな人って。そうやってみんなで頑張ってきたから、いま何かあって集まるときも、みんな手土産を持って来ますよ。『あら、鹿実の昔を忘れてないね』『あんたこれが好きだったね』なんて言いながら」(和子夫人)

 親を巻き込んだコミュニティ作りをした背景には、サッカーができるのは誰のおかげか、子供たちに分からせたいという思いもあった。

 鹿実サッカー部でのコーチ経験もある尚明さんは、先生として、あるいは指導者としての父の偉大さを、次のように語る。

「自分が良ければいいって考えはなかった。国体の監督をやったとき、ライバルの城西と樟南の監督をコーチにつけたんです。私は『バカじゃない。鹿実の戦術が分かるがね』と言ったんですけど、『それに勝るくらい頑張ればいい』って。親父にとって大事なのは、鹿児島全体を盛り上げることだったんです。

 鹿実を離れた途端に弱い部分が出ちゃって、一気に病気が進んだんです。片野坂さんのような教え子が指導者として成功し、鹿児島にプロチームもできた。自分が蒔いた種が、これから花開く。そんな、第二の楽しみが待っていたと思うんですけどね……」

「卒業生がいい手紙をくれたんですよ」

 一通りお話を聞いた頃、「去年の暮れに鹿実の卒業生がいい手紙をくれたんですよ」と、和子夫人が大事そうに封筒を持ってきてくれた。

 レギュラーになることはできなかったが、鹿実サッカー部で3年間もがき続けた卒業生、獣医師となった上野大作さんの手紙には、こう綴られていた。

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