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「情熱と我慢」「普通の人なら離婚してます(笑)」遠藤保仁らを育てた“高校サッカー名将の秘蔵ノート”…妻・息子も懐かしむ武勇伝とは 

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粕川哲男

粕川哲男Tetsuo Kasukawa

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/08/11 11:00

「情熱と我慢」「普通の人なら離婚してます(笑)」遠藤保仁らを育てた“高校サッカー名将の秘蔵ノート”…妻・息子も懐かしむ武勇伝とは<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2004年度の高校サッカー選手権で優勝した際の鹿児島実・松澤監督。彼の歩んだ人生とは?

 大宮サッカー場を舞台にした1回戦の相手は、栃木県代表の宇都宮農。初出場の鹿実は1年生FW三島俊孝のゴールで先制すると、相手の猛攻に耐えて初勝利を飾った。2回戦で愛知に0-3で敗れたものの、初出場・初勝利の反響は大きかった。

 鹿児島に戻ってしばらくすると、自動車業者から電話がきた。「バスが届いていますよ」。愛する母校の選手権1勝に歓喜した関東同窓会の先輩たちが、24人乗りのマイクロバスをプレゼントしてくれたのだ。

「初戦に勝った日の夜、鹿実関東同窓会の方々が祝勝会を開いてくれてね。その席で冗談半分に『バスがほしい』と言ったんですよ。数百万円はしただろうに、びっくりしたねぇ。その期待に応えなきゃいけないと思ったわけ。小嶺先生が自分でバスを運転して、関西や静岡まで遠征に行っていたから『俺も連れて行ってくれ』と頼んで、ついていったんだよ。あのバスのおかげで全国に仲間ができた。あれが鹿実の躍進につながる転機だった」

どこに行っても「田舎もん」とバカにされるなら

 かつて松澤先生が感慨深く語ったマイクロバスだが、和子夫人の見方は異なる。

「OBの方たちにマイクロバスをもらったのが大きかった。それがきっかけで静岡、関東、遠いところでは、新潟まで全国を回ったわけですから。どこまでも自分で運転して。あのバスがなかったら、まだ長生きしていたかもしれません(笑)」

 全国を巡る武者修行を始めると、成績はたちまち上向いていった。鹿児島を飛び出して大商大の上田亮三郎先生の指導を仰ぎ、帝京の古沼貞雄先生、清水商の大滝雅良先生などと交流を深め、どれだけ負けても諦めず、勝つまで名門に手合わせをお願いした。

「とにかく鹿実を、九州を強くしたいって思いだけだったんでしょうね。プライドなんて捨てて。遠征前に生徒たちの頭を五厘にさせるのも、舐められないようにするためでした。卒業生に聞くと、どこに行っても『田舎もん』とバカにされるらしい。それなら、まずは見た目から。舐められないように気合いを入れる。子供たちは『やっと生えてきたのに、遠征に行くたびに切らされる』って文句を言ってましたけどね」

 尚明さんが、懐かしそうに当時を振り返る。

 1979年、3大会連続4度目のインターハイで帝京と並んで4強入り。その後、80年代に入ると県内ではほとんど負けなくなり、85年度の第64回選手権では室蘭大谷、盛岡商、大宮東を倒してベスト8進出。ようやく鹿実の黄金期が幕を開けた。

<#2につづく>

#2に続く
「無謀な根性論→ホメて伸ばす」に変わった口論… “鹿実の名将・松澤先生”の家族が語る思い出「遠藤(保仁)くんや松井(大輔)くんの親は」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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