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「おう!また負けに来たんか」名将・高嶋仁を“勝負師”に変えた甲子園のヤジ…智弁和歌山が“初めて負けた夏”から積み重ねてきたこと 

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日比野恭三

日比野恭三Kyozo Hibino

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photograph byTadashi Shirasawa

posted2022/08/10 06:00

「おう!また負けに来たんか」名将・高嶋仁を“勝負師”に変えた甲子園のヤジ…智弁和歌山が“初めて負けた夏”から積み重ねてきたこと<Number Web> photograph by Tadashi Shirasawa

歴代最多の甲子園通算勝利数「68」を誇る智弁和歌山・高島仁前監督。知られざる挫折を乗り越え、名将の地位を築いていった

 転機となったのは92年、甲子園での試合前に高嶋の耳に飛び込んできた一言だった。ベンチの上のあたりの客席から、大声でヤジを投げつけられたのだ。

「おう! また負けに来たんか」

 高嶋が思い返す。

「その言葉が頭を打った。がちんと来ましたよ。そうや、おれは甲子園出るためには一生懸命やっとったけど、甲子園で勝つためには一生懸命やってなかったな、と」

 拓大紅陵に3-0から逆転負けして和歌山に帰り、高嶋は過去の敗戦の映像を見返した。どれも「勝てる試合」だった。そのことに気づいてからの練習は質が変わった。

「選手に対して『そんなんやったら甲子園のお客さん怒るぞ!』っていう言葉がぱっと出るようになる。常に甲子園を意識して練習させる。せやから、ほんまにええヤジをかけてくれたなと思います。出てきたら感謝せなあかんですね」

“初黒星”を喫した東北高校にリベンジ

 野球への思索は深まり、采配は冴えを増した。たとえばスクイズを狙いたい場面で敬遠策をとられた時、その4球目に照準を合わせた。高嶋が勝負師の眼になる。

「3球目までは(捕手が)2歩も3歩も離れて捕るようなボール。でも4球目は絶対そこまでいかへん。心理なんです。せいぜい1歩くらい離れたところでそんなにびゅっとは放らないから、いちばんやりやすい。まんまとかかりました。向こうの監督さん、帽子たたきつけて悔しがってましたわ」

 93年、夏の初黒星の相手である東北高校を延長で破り甲子園初勝利を収めた智弁和歌山は、翌94年春、97年夏、00年夏の全国優勝を経て、強豪校としての不動の評価を手に入れた。

 自らを敗者とした「1点」、その中身を突き詰め続けた情熱が鮮やかな朱を強者の色に変えたのだ。

●初出:Number958号(2018年8月2日発売)『常勝軍団の知られざる挫折 関西の雄が初めて泣いた夏』より

(つづく)

#2に続く
最強軍団・大阪桐蔭にもこんな時代が…02年夏の“初戦敗退”から西谷野球は何が変わったのか?「先生は悔しかったでしょうね」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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