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ビスマルク「日本人に魅了されて(優勝した)W杯を諦めた」 Jで輝き、引退後も敏腕代理人になれたワケ〈日本vsブラジル初対決で決勝点〉 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byKoji Asakura

posted2022/06/07 06:00

ビスマルク「日本人に魅了されて(優勝した)W杯を諦めた」 Jで輝き、引退後も敏腕代理人になれたワケ〈日本vsブラジル初対決で決勝点〉<Number Web> photograph by Koji Asakura

ヴェルディ時代のビスマルク。Jリーグ黎明期を彩ったスターだ

「15日で君をJリーグ仕様にする」

 '93年7月中旬、ビスマルクは東京へ到着し、その夜にV川崎とアストン・ビラ(イングランド)のフレンドリーマッチをスタンドで観戦した。衝撃を受けた。V川崎の選手たちは、90分間、ピッチをすさまじいスピードで走り回っていた。ブラジルとはプレースタイルがまるで違う。「同じことは、僕にはできない。契約をキャンセルしよう」とも考えた。

 ところが、彼をV川崎へ誘ったフラビオは自信たっぷりに言った。「心配するな。15日間で君のコンディションをJリーグ仕様にするから」と。実際、その通りになった。ビスマルクはこの年のセカンドステージから出場すると、たちまちチームに馴染んでいった。

本田泰人はいつだってフェアだった

「チームにはカズ(三浦知良)、ラモス(瑠偉)、ペレイラたちがいて、彼らとはポルトガル語で話ができたから助かったよ。クラブの練習施設も申し分なかった。カズとは、彼がコリチーバに在籍中の'89年に対戦していた仲だ。『プレー面でも生活面でも、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。助けになれると思うから』と声をかけてくれたのは、とても心強かったね。

 Jリーグは運営が素晴らしく、試合のレベルは予想以上に高かった。選手たちはスピードに加え確かな技術を備えていた。当時はヴェルディと鹿島アントラーズが2強で、両チームの対戦はいつもスタンドが超満員。すごく盛り上がったよ。鹿島戦では、いつも本田(泰人)からマンマークを受けたんだ。あのしつこさには閉口したけど、暴力的ではなくいつもフェアだった」

 サッカーを離れれば、敬虔なクリスチャンとして知られるビスマルク。V川崎のチームメイトと一緒に東京のナイトライフを楽しむことは少なかったようだ。チームでホテルに宿泊するとき以外は、たいてい自宅で母親の手料理を食べた。ほどなくして、彼が信仰するキリスト教福音派の牧師が東京にもいることを知った。毎週、牧師を自宅へ招き、ブラジル人の選手やスタッフの信者も呼んでお祈りの会を開いた。お祈りの後は、母親が作るブラジル料理や牧師が作ってくれた日本食を楽しんだ。

 一方ピッチでは、その後も元セレソンの実力を遺憾なく発揮し、V川崎は'93年の初代Jリーグチャンピオンに輝く。同時に、彼がゴール後に跪き、眉間を右手でつまんで神に祈るポーズが日本中に広まった。子供たちが盛んに真似したほどだった。

「あのポーズは日本で始めたんだ。僕は日本で選手としても人間としても大きく成長した。幸運にも得点できたこと、そして神様が僕を素晴らしい国へ導いてくださったことへの感謝の気持ちを表わしたんだ」

【次ページ】 「日本と日本人に魅了されて……」

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