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松田直樹「松本でまだまだやるべきことが…」“マツがいた年”から11年、Jリーグ初の信州ダービーに見た「受け継がれる想い」とは 

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宇都宮徹壱

宇都宮徹壱Tetsuichi Utsunomiya

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photograph byTetsuichi Utsunomiya

posted2022/05/25 11:01

松田直樹「松本でまだまだやるべきことが…」“マツがいた年”から11年、Jリーグ初の信州ダービーに見た「受け継がれる想い」とは<Number Web> photograph by Tetsuichi Utsunomiya

故・松田直樹が出場した2011年4月30日の信州ダービー。同試合ではホームの松本山雅FCが劇的な逆転勝利を収めた

 続く7月3日のアウェーゲームでは、前半に先制された上に味方がレッドカードで退場。1人少なくなる中、松本の背番号3はセンターバックからボランチにポジションを移して攻守に貢献する。そして終了間際の同点ゴールで、辛くも勝ち点1を確保。試合後、疲労困憊してピッチに座り込むマツの姿が印象的だった。

「この間『クラシコ』って映画を見たんだけど…」

 ところで松田直樹は、この信州ダービーについて、何かしらの言葉を遺していたのだろうか? 過去の取材ノートを引っ張り出してみると「俺は山雅をJ1に上げるためにここに来た」とか「自分の経験を積極的に伝えていきたい」といったコメントはあるものの、信州ダービーそのものへの言及は極めて限られていた。

 それでも、逆転勝利をもぎ取った最初のダービーの試合後、マツは「この間『クラシコ』って映画を見たんだけど」と前置きして、実感を込めた口調でこう続けている。

「これまで(クラブの歴史を)積み上げてきた人たちの想いがすごかった。俺も松本の一員として、まだまだやらなければならないことがある。1年後には昇格はもちろん、さらにいいチームにして恩返しがしたいね」

 松田直樹が、トレーニング中に意識不明となって救急搬送されたのは、最後の信州ダービーから1カ月が経った8月2日のこと。それから51時間後、彼は帰らぬ人となってしまった。享年34歳。

「Jリーグの日」にふさわしい試合だった信州ダービー

 あれから11年。震災の記憶が次第に薄れていくように、松田直樹がプレーしていた時代の信州ダービーもまた、記憶の彼方へと移行しつつある。チケットの売れ行きは順調と聞いていたが、果たしてどれだけの観客が訪れるのだろうか? そして肝心の試合は、どれくらい盛り上がるのだろうか?

【次ページ】 「これほど熱量のある試合が、地方の3部リーグで…」

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